金星生命の可能性にすら言及した2020年の金星ホスフィン論文に対して、他の研究チームから4本の反対論文が発表され、元論文の著者らが観測結果を大きく下方修正する、異例の状況となっています。論文の何が争点となっているのか、改めて現在の状況をまとめてみたいと思います。
(目次)
0:00 金星生命の兆候
0:49 次々と投稿される反対論文
1:14 反対論文1
2:26 反対論文2
3:39 反対論文3
5:09 反対論文4
5:31 元論文の著者らによる反論
6:39 現在の状況まとめ
(参考文献)
Greaves, J.S., Richards, A.M.S., Bains, W. et al. Phosphine gas in the cloud decks of Venus. Nat Astron (2020)
https://doi.org/10.1038/s41550-020-1174-4
T. Encrenaz et al. (2020) A stringent upper limit of the PH3 abundance at the cloud top of Venus. A&A, 643, L5.
https://doi.org/10.1051/0004-6361/202039559
I.A.G. Snellen et al. (2020) Re-analysis of the 267 GHz ALMA observations of Venus. A&A, 644, L2.
https://doi.org/10.1051/0004-6361/202039717
G. Villanueva et al. (2021) No phosphine in the atmosphere of Venus. submitted to Nature Astronomy.
https://arxiv.org/abs/2010.14305
M.A. Thompson (2021) The statistical reliability of 267-GHz JCMT observations of Venus: no significant evidence for phosphine absorption. MNRAS 501, 1, L18.
https://doi.org/10.1093/mnrasl/slaa187
J.S. Greaves et al. (2021) Re-analysis of Phosphine in Venus' Clouds. submitted to Nature Astronomy.
https://arxiv.org/abs/2011.08176
A.M. Hein et al. (2020) A Precursor Balloon Mission for Venusian Astrobiology. ApJL 903, L36.
https://doi.org/10.3847/2041-8213/abc347
(映像素材)
NASA/JPL-Caltech, The National Radio Astronomy Observatory
(字幕全文)
2020年9月14日にNature Astronomyで発表された、金星大気中にホスフィンを観測したとする論文は、去年発表された惑星科学の論文の中で、最も注目を浴びた論文の一つと言えるでしょう。
ホスフィンは、地球では生物活動に関連が深く、さらに論文で報告された金星大気中でのホスフィンの存在量が、大気中の化学反応や外部からの供給量を上回るものだったので、金星大気中の生命の存在にすら言及する衝撃的な報告となりました。
惑星科学チャンネルにおいても、論文発表のおよそ1か月後に解説動画を公開し、金星ホスフィン論文が火星メタンのように、学会を二分する大論争を巻き起こす可能性があることに言及しました。
あれからおよそ4か月。事態は大きく動き始めています。
金星ホスフィン論文に対して、他の研究チームから4本の反対論文が発表され、元論文の著者らが観測結果を大きく下方修正する、異例の状況となっているのです。
こういった事態の重大性を鑑みて、金星ホスフィン論文の何が争点となっているのか、改めて現在の状況をまとめてみたいと思います。
金星ホスフィン論文に対して最初の独立な検証論文が投稿されたのが9月30日です。
元々の論文ではミリ波の電波望遠鏡を用いてホスフィンの吸収を報告していましたが、この検証論文ではホスフィンの吸収線が豊富に存在する、近赤外の波長帯のデータを解析しました。
元論文ではジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡(JCMT)と、ALMA望遠鏡が使われましたが、この論文ではハワイにある NASA赤外望遠鏡施設の観測データを使っているため、観測装置が異なる点もポイントです。
しかし解析の結果、ホスフィンは検出されませんでした。
著者らはスペクトルのノイズレベルから、ホスフィンの濃度上限を最大でも5ppbと見積もりました。この数値は、元論文で報告された20ppbという数値の4分の1しかありません。
この検証論文の共著者には、元々のホスフィン論文の著者らも何人か含まれているため、元論文に対して強く反対するというような論調にはなっていませんが、別の望遠鏡で、別の波長で見ても検出できなかったというのは、金星ホスフィン論文に対して一抹の暗雲を投げかけるものとなりました。
次の検証論文は10月19日に投稿されました。今度はオランダのグループが、元論文で使われたものと同じALMA望遠鏡のデータを独自に解析しました。
こちらの図はALMAのスペクトルを示しています。左上がホスフィンの吸収線が存在する周波数で、他の5つはその周辺の周波数領域です。
生データには機器由来のノイズが多く含まれるため、フィッティングによってノイズを取り除き、スペクトルのベースラインを決定します。
オランダのグループは、元論文と同様に、12次の多項式関数によるフィッティングを行いました。生データからフィッティング関数を引いたシグナルがこちらの図です。ホスフィンの吸収線が10σ以上の強度で現れましたが、一方でホスフィン以外の周波数にも人工的な偽のシグナルが現れたのです。そこでオランダのグループは、ベースラインのフィッティングをより低次の多項式関数で行ったところ、ホスフィンの吸収は検出されず、機器のノイズレベルと同程度となりました。
このことからオランダのグループは、元論文では機器のノイズを除去するためにオーバーフィッティングをしており、それによって偽のシグナルを検出してしまったのではないかと報告しています。
3番目の検証論文は10月21日にNature Astronomyに投稿されました。「金星大気中にホスフィンはない」という真っ向から反論するタイトルとなっています。
この論文では主に3つの点で反論を行っています。
まず、元論文で検出されたホスフィンの吸収線のすぐ近くには、金星大気中に豊富に存在する二酸化硫黄の吸収線も存在します。二つのガスの吸収線は極めて近接しているため、ALMAやJCMTの波長分解能では分離することができません。そのため、ホスフィンだと思っていた吸収線は、実は二酸化硫黄によるコンタミであるというのが第一の指摘です。
次にオランダのグループによる反論と同様に、こちらのチームも、スペクトルのノイズを除去するフィッティング方法に問題があり、人工的な偽のシグナルを生んでしまった可能性を指摘しています。
そして、ホスフィンが存在すると報告された高度がおかしいことも指摘しています。一般的に気体の吸収線の幅は、圧力が高くなるにつれて広がる性質を持つため、この性質を利用して検出されたガスのおおよその高度を推定することができます。この論文の著者らは、仮にALMAのデータがホスフィンの存在を示していたとしても、その高さは高度70km以上になるはずであり、元論文の光化学モデルでは高さ70km以上にはホスフィンがほとんど存在しないことから、金星ホスフィン論文には重大な矛盾があると指摘しています。
最後に紹介する検証論文は、10月28日に投稿されたイギリスの研究者の論文です。この論文では特にJCMTのデータを独立に再解析しており、これまでに発表された検証論文と同様に、元論文で報告されたホスフィンのシグナルは、オーバーフィッティングによって生成された偽のシグナルであると結論づけています。
それでは、これらの検証論文に対して、元論文の著者らはどのように反論しているのでしょうか。
まずJCMTで観測されたホスフィンのシグナルが、SO2の吸収であるという指摘に対しては、吸収線の幅がSO2の吸収線よりも広いことから、SO2ではないと反論しています。
ALMAのデータに関しては、解析方法を見直した結果、SN5で1から4ppbのホスフィンを検出できたと反論しています。当初の論文ではSN15で、20ppbのホスフィンを検出したと報告していたので、それと比較すると大幅に濃度が下方修正されたことになりますが、それでもホスフィンは存在するという主張です。
観測値と光化学モデルが予言するホスフィンの存在高度が異なることについては、そもそもホスフィンの吸収線のパラメーターに不定性があることと、ちゃんとした光化学モデルをまだ報告できていないことから、将来の検討課題としているようです。
これら、Nature Astronomyに投稿されている元論文の著者らの反論は、現在第2ラウンドの査読まで進んでおり、近日中に受理されると予想されます。
以上をまとめると、金星ホスフィン論文に対して、特にデータの解析手法に多くの疑念が寄せられている状況と言えます。
元論文の著者らは一つ一つ丁寧に反論している印象ですが、全てを反論しきれているわけではなく、まだまだ決着には時間がかかりそうな印象です。また望遠鏡の検出限界ギリギリのレベルの話になっており、人によって解析の流儀が違うことで異なる結果が得られたりと、状況はまだ錯綜しています。
現時点ではこれまでに得られたデータのアーカイブを使って論争が行われていますが、今後は地上望遠鏡や宇宙望遠鏡、さらには探査機による観測で新しいデータを得ることが必要となってくるでしょう。
実際にApJLで2020年に発表された論文では、金星大気中の生命検出を目的とした、気球ミッションも提案されています。
今後の展開に注目していきましょう。
それではご視聴いただき ありがとうございました。
次回もお楽しみに。
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