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【世界史】宗教改革まとめ


世界史
2025年3月30日

はじめに

世界史で学ぶ〝宗教改革〟

どの国でどんな宗教改革が起きたんだっけ?
当時のヨーロッパでは何が問題になっていたんだっけ?

宗教改革は、16世紀にルターやカルヴァンらが主導し、カトリック教会の腐敗を批判してプロテスタントが成立した運動
今回はそんな宗教革命について各国別でご紹介します!

宗教改革前のヨーロッパ社会

当時のヨーロッパ社会は、ペストの流行や貨幣経済の普及を背景とする封建制の危機、農民一揆によって不安定化していました。

そうした中、民衆の宗教的願望は高まっていましたが、司教や修道院長は封建領主化し、収入を得ながら日常の司牧を代理者にゆだねる不在聖職者問題も深刻化していました。

そのため、多くの人は改革を望むようになりました。


ドイツ宗教改革

16世紀初頭、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)で起こった宗教改革運動で、マルティン・ルターが主導し、カトリック教会の腐敗を批判してプロテスタント(ルター派)が誕生しました。

レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建設資金を調達するために免罪符を発行したことに対し、マルティン・ルターが異議を唱えたことで宗教改革が始まりました。

主な出来事

  • 1517年:ルターが「95か条の論題」を発表し、免罪符販売を批判
  • 1521年:ルターがヴォルムス帝国議会で異端とされるが、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に保護される
  • 1530年:ルター派がアウクスブルク信仰告白を発表し、正式にプロテスタントを確立
  • 1555年アウクスブルクの和議で「領邦君主がカトリックかルター派かを選択できる」と決定


ドイツ宗教改革の結果

ドイツ宗教改革の結果、カトリック教会の権威が揺らぎ、ルター派(プロテスタント)が誕生し、神聖ローマ帝国内の諸侯がカトリックとプロテスタントに分裂しました

この宗教対立は政治的な対立へと発展し、各地で戦争が勃発しました。

1555年のアウクスブルクの和議では、個人の信仰の自由は保証されず、宗教的な対立は完全には解決しませんでした。

その後も宗教対立が続き、最終的に17世紀の三十年戦争(1618-1648年)へとつながりました。

また、ドイツ宗教改革はヨーロッパ全体に影響を及ぼし、スイスのカルヴァン派やイギリスの国教会など、他の国々でも宗教改革が進むきっかけとなりました。一方、カトリック教会も対抗宗教改革を進め、内部の改革に取り組みました。

結果として、ヨーロッパの宗教地図が大きく変化し、近代国家形成への道が開かれる契機となりました。


スイスの宗教改革

16世紀にスイスで起こったプロテスタント運動で、ツヴィングリとカルヴァンが主導し、カトリック教会の改革と信仰の純粋化を目指した宗教改革。

カトリック教会の腐敗とスイス諸都市の独立志向に加え、ルネサンスの人文主義の影響が背景となりました。

主な出来事

① ツヴィングリによる宗教改革(チューリヒ)

  • 1523年:ツヴィングリがチューリヒで宗教改革を開始
  • 聖書のみを信仰の基準とし、ミサの廃止、偶像崇拝の否定を主張
  • カトリック派との対立が激化し、1531年の戦いで戦死

② カルヴァンによる宗教改革(ジュネーヴ)

  • 1536年:カルヴァンが『キリスト教綱要』を発表し、ジュネーヴで改革を推進
  • 「予定説」(神が救われる人をあらかじめ定めている)を主張
  • 厳格な宗教政治を実施し、ジュネーヴを「神政政治」の都市へ


スイス宗教改革の結果、ツヴィングリ派とカルヴァン派(改革派教会)が成立し、スイスの一部地域がプロテスタント化しました

ジュネーヴではカルヴァンが宗教と政治を融合させた「神政政治」を実施し、厳格な道徳規律を定めました。

この影響で、カルヴァン派はフランス(ユグノー)、オランダ、スコットランド(プレスビテリアン)、イングランド(ピューリタン)などに広がり、ヨーロッパ全体の宗教改革を推進する原動力となりました。

一方で、カトリックとの対立が激化し、各地で宗教戦争が勃発しました。
また、カルヴァン派の勤労と禁欲を重視する思想は、後に資本主義の発展にも影響を与えたとされます(マックス・ウェーバーの説)。

このように、スイス宗教改革は単なる宗教運動にとどまらず、ヨーロッパの社会・政治・経済に大きな変化をもたらしました


イギリス国教会の成立

16世紀にイギリスで起こった宗教改革で、ヘンリー8世がカトリック教会から離脱し、国王を首長とするイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)を創設した動き。

ヘンリー8世の離婚問題と王権強化の意図に加え、大陸の宗教改革の影響が背景となりました。


主な出来事

  • 1534年:「国王至上法(首長令)」を制定し、イギリス国教会を設立(ヘンリー8世が首長)。
  • 1536年~1540年:修道院を解散し、その財産を没収。
  • 1553年~1558年:「血まみれのメアリー」ことメアリー1世が即位し、カトリックを復活(新教徒を弾圧)。
  • 1559年:エリザベス1世が「統一法」を発布し、イギリス国教会を確立(カトリックとプロテスタントの中間的性格を持つ)。


イギリス宗教革命の結果、イギリス国教会(アングリカン・チャーチ)が成立し、国王が宗教の最高権威となりました

これにより、イギリスはカトリック諸国と対立し、特にスペインとの戦争(アルマダの海戦)につながりました

また、国内ではプロテスタントの中でもより厳格な信仰を求めるピューリタン(清教徒)が台頭し、後のイギリス革命の要因ともなりました。

このように、イギリス宗教革命は単なる宗教改革にとどまらず、政治や社会の変化にも大きな影響を与えた出来事でした


カトリックの対抗宗教改革

16世紀の宗教改革に対抗し、カトリック教会が信仰の立て直しと勢力回復を目指した改革運動。

プロテスタントの台頭によるカトリックの勢力低下と、教会内部の腐敗への批判が背景となりました。

主な出来事

  • トリエント公会議(1545~1563年)
    • カトリック教義の再確認(「信仰+善行」で救われると再主張)
    • 免罪符の悪用を禁止し、聖職者の規律を強化
    • プロテスタントの教えを全面否定
  • イエズス会の設立(1534年)
    • イグナティウス・デ・ロヨラによって創設
    • 教育・宣教を通じてカトリックを広める(学校設立、世界各地で布教)
    • 日本や南米などでの布教活動(フランシスコ・ザビエルらが活躍)
  • 禁書目録の制定(1559年)
    • プロテスタント関連の書物や科学書などを発禁(例:ルターの著作)
  • 異端審問の強化
    • 宗教裁判を厳格化し、異端者を処罰(特にスペイン異端審問が有名)


カトリックの対抗宗教改革の結果、カトリック教会は内部の腐敗を正し、信仰の立て直しを進めることができました

トリエント公会議で教義を再確認し、免罪符の悪用を禁止するなどの改革が行われました。

また、イエズス会の設立により、教育や宣教活動が活発化し、特にアジアや南米でのカトリック布教が進みました

さらに、禁書目録の制定や異端審問の強化により、カトリックの教義を守るための統制が強まりました。

しかし、ヨーロッパではカトリックとプロテスタントの対立が激化し、宗教戦争が相次ぎました。

最終的に、1648年のウェストファリア条約によって宗教戦争は終結し、各国の君主が自国の宗教を決定できることが認められました
このように、対抗宗教改革はカトリックの再興に貢献しましたが、ヨーロッパの宗教的対立をさらに深める結果ともなりました。


最後に

いかがだったでしょうか?宗教改革はその内容に加えて、どんな背景があったのかであったり、その結果どうなったのかなどに着目しながら理解していきましょう!

この記事の著者

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Bun

私立高校2年。勉強に役立つまとめなどを発信していきます!