志望校を下げる前に必ず立ち止まってほしい
どうもフジです。
今回は、受験直前期に多くの高校生がぶつかる「志望校を下げたくなる」という問題について。
学力が志望校に届いていない、勉強量が十分ではない、模試の判定が厳しい。こういった状況から志望校を下げるという判断をする人がちょくちょくでてくるのがこの時期でしょうか。
今回私が指摘したいのは、志望校を下げた直後の部分。もし志望校を下げる前後に、あなた自身の価値観のほうを調整してその決断を肯定しようとする動きが見られる場合、それは「あとになって後悔を招きやすい判断」なんじゃないかと思うわけです。
「自分は元々偏差値をそこまで重視していない」「やりたいことを軸に選ぶ方が正しい」というように考え方を後から変えて自分を納得させようとしているなら、その判断は冷静とは言えません。
認知的不協和
ここで理解してほしいのが、認知的不協和という考え方です。認知的不協和とは、自分の中にある信念や価値観と、実際の行動やその結果が一致していないときに生じる不快感のことを指します。自分が「こうあるべき」と考えている状態と自分の行動が整合していないと、そのズレを自覚する形で心理的負担が生まれるんですね。
心理的負担があるとき、それを解消したいと思うのが自然です。ではこの認知的不協和を解消する手段は?ひとつは行動のほうを調整し、信念に合う状態へ近づける方法。もうひとつは、自分の信念や価値観のほうを調整し、今の行動を肯定できるように認識を組み替える方法。この2つのアプローチのいずれかを選択して認知的不協和を解消しようとするってわけです。
勘のいい人はお察しのことでしょう。そう、この認知的不協和を感じる状態に陥ったとき、後者のアプローチを取る人が多いって話です。行動の調整には努力や時間が必要ですが、認識の調整はその場で不快感を弱められますからね。本来なら行動を変えることで矛盾を解決できる可能性がある場面でも、負荷の小さい認識調整へ傾きやすくなってしまうのです。
だからもし不快感から逃れようとする際に、行動ではなく認識の調整に意識が向かっている場合は、その時点で不協和の解消が行動の側ではなく認識の側で進んでいる状態と言えるでしょう。
価値観を書き換えると必ず後悔する
ここから受験という文脈に話を戻します。
学力が志望校に届いていない、勉強量が十分ではない、模試の判定が厳しいという状況では、志望度が高ければ高いほど理想と現実の間にギャップが生じ、このギャップが認知的不協和を生みます。志望度が低い場合はこの不協和がそもそも起きず、実情にしたがって自然に志望校を調整することができるのでしょうが、志望校を下げようとしたときに「本当はこうだよな…」と自分に言い聞かせて納得しようとしている時点で、その人は本来その大学を強く志望していたということになりますし、つまり、不協和に押し負けてた結果としての志望校変更なのだと理解できます。
本来なら、志望校と現状のギャップが見つかったときに行うべきなのは「行動」のほうです。勉強時間の確保、学習内容の見直し、弱点の分析と補強、日々の過ごし方の修正など、現実を理想に近づけるための行動を取るべきです。しかし、不協和が強くなると、行動の改善よりも先に「自分は偏差値を重視するタイプではない」「大学は名前ではなく環境が大事だ」といった価値観の調整が進んでしまう。このような変化が、志望校を下げる前後で強まるのであれば、それは行動面での改善を試みる前に認識の調整で逃げ道を作っている状態です。
このような判断をすると、本来改善できたかもしれない行動の可能性を検討する前に結論に飛びついてしまうため、受験後に「もっとできたのではないか」という感覚が残りやすくなります。志望度が高かった人ほど、この後悔は強くなるでしょう。価値観を書き換えて不協和から逃れる判断は、短期的な安心をもたらすだけで、長期的な納得にはつながらないんです。
念のため言っておきますが、志望校の変更が常に悪いって話ではないですよ。「変更の理由が不協和の解消に基づいている場合は、後々後悔する可能性が高いから慎重になってね」ということ。志望校を下げる前に、行動の側に改善の余地がないかを十分に確認して、もしそこに少しでも可能性があるのなら行動に移す。それでもなお志望校の変更が避けられないと判断したのであれば、その結論は冷静なものなのかなと思います。
大事なことなので繰り返しますが、志望校を下げるかどうかを判断するときには、まず不協和に押されて認識を変えようとしていないかを確認し、そのうえで行動の側に改善可能性が残っていないかを丁寧に見直すこと!
改善の余地があるなら改善すること!
行動を変えていくこと!
というわけで今回は以上。




