皇族で唯一総理になった男
(サムネイルは皇居外周にて著者が撮影)
皆さん、こんにちは。
突然ですが皆さんは、皇族で唯一総理大臣になった男を知っていますか?
基本的に皇室というものは、天皇陛下をはじめとする皇族の方々であり、近代日本において皇族が政治家になることはほとんどありません。
しかし、日本の歴史において唯一、皇族でありながら内閣総理大臣になった男がいるのです!
その男とは第43代内閣総理大臣を務めた東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)です。
今回は、なぜ彼が皇族で唯一総理大臣になったのか、また当時の日本の政治状況を踏まえた背景などを踏まえて紹介していきます。
皇族で唯一総理大臣になった男の生涯
東久邇宮稔彦王は1887年(明治20年)12月3日に久邇宮朝彦親王(父)の子として皇族に生まれました。
東久邇宮稔彦王は幼い頃から陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校などで教育を受け、皇族でありながら陸軍軍人としてのキャリアを積みました。
また成人後には、皇族でありながら日露戦争の最前線にて任務を遂行しました。
その後、第一次世界大戦後には陸軍の幹部として活躍し、特に飛行機による軍事力に大きな関心を持ち、航空兵力の育成に尽力しました。
なぜ総理大臣に就任することになったのか
東久邇宮稔彦王が総理大臣に就任したのは、第二次世界大戦終戦後わずか2日後の1945年8月17日です。
皆さんご存知の通り日本は1945年8月15日にポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦に敗北しました。
しかし、軍部の一部や国民の中には「竹槍でも戦うぞ」と本気で抵抗を続けようとする勢力も存在しており、国内は極度の混乱と暴走寸前の状態にありました。
このような状況で、普通の一般の政治家を首相に据えれば、軍部や国民の支持を得られず、かえって混乱が悪化する恐れがありました。
そこで昭和天皇は、皇族出身であり、かつ自らの信任が厚かった東久邇宮稔彦王を内閣総理大臣に任命したのです。
そうして、彼は終戦直後の混乱の中、第43代内閣総理大臣に就任しました。
同時に皇族出身でありながら、内閣総理大臣に就任した唯一の人物となったのです。
東久邇宮稔彦王総理の役割と課題
彼に課された最大の使命は、国民に終戦を受け入れさせることでした。
日本が戦争に負けたこと、そしてポツダム宣言を受け入れたことを、国内に徹底させなければならなかったのです。
また、GHQ(連合国軍総司令部)からの命令にも従い、戦争犯罪に関する処理を進める必要もありました。
ただし、民主主義改革や憲法改正などについてはやや消極的であったため、GHQ側(特にマッカーサー元帥)との間に対立が生じました。
その結果、わずか54日間(約2ヶ月弱)で東久邇宮稔彦王は総理の職から離れることになりました。
ちなみにこの54日の総理在任期間は歴代で1番短い総理在任期間となっております。
総理退任後の人生
総理を退任した東久邇宮稔彦王は約2年後の1947年、皇籍離脱により一般国民となりました。
その後は宗教活動などを行いましたが、特に元皇族、元総理としての権力を振りかざすことはなく、静かな晩年を過ごしました。
1990年1月20日、東久邇宮稔彦王は102歳で亡くなりました。ちなみに総理経験者の中で1番長生きしたのも東久邇宮稔彦王でした。
まとめ
このように、東久邇宮稔彦王は皇族でありながら日本の歴史上唯一、総理大臣となった人物でした。
また戦後の極限の混乱期にあって、軍部、天皇陛下、国民の間に立ち、日本の独立と尊厳を守るために尽力しました。
その総理在任期間はわずか54日間でしたが、東久邇宮稔彦王の奮闘がなければ、私たちが日本人として平和に暮らせていることはなかったかもしれません。
彼の活躍は、今も静かに日本の礎となっています。
最後までありがとうございました。