イタリア政策
概要
神聖ローマ皇帝によるイタリア進出の動き。
叙任権闘争と連動して、イタリアは皇帝と教皇の対立の場となった。
12世紀のフリードリヒ1世が代表的。
時代
10世紀〜15世紀
場所
詳細
オットー1世がローマで戴冠して以降、歴代の神聖ローマ皇帝はローマでの戴冠を目指し、またイタリアを支配することも望みました。
皇帝は、イタリア国内での皇帝党(ギベリン)を味方につけ、教皇党(ゲルフ)の都市と対立していました。
叙任権闘争が激しくなってからは教皇に対し優位となるためにもイタリア政策を進めます。
フリードリヒ1世は特に熱心にイタリア政策を行った皇帝で、教皇アレクサンドル3世と対立しながら北部を一時占領しますが、現地の反抗により撤退します。
その孫、フリードリヒ2世もイタリア政策を行いますが、教皇に破門されます。
教皇権が衰退すると神聖ローマ皇帝の権力が及びますが、15世紀からはフランスが介入しイタリア戦争が戦われました。
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