Follow Us!!:

アプリなら、たくさんの便利な機能が無料で使える!
今すぐアプリをダウンロードして、もっと自由に学ぼう!

履歴の確認
お気に入り・フォローの登録
通知の受け取り
ファイルの作成・追加・複製
メモの作成・確認
モチベボードの投稿
App StoreからダウンロードGoogle Playで手に入れよう
運営会社お問い合わせ利用規約プライバシーポリシー
YouTube利用規約

© 2025, okke, Inc.

叙任権闘争

概要

ローマ教皇についてのお話です。

王との権力争い、叙任権闘争を繰り広げます。

本来王に守ってもらう立場でしたが、11世紀には任命する立場として強い権威を誇ります。

しかし、十字軍の失敗などで権力は低下しました。

まとめ→中世ヨーロッパ

時代

10世紀〜15世紀

場所

E2BD05490E744B9B956383A8C88AF151.png

詳細

教皇権の拡大

10世紀、神聖ローマ皇帝が任命され権力が安定したのも束の間、教皇と皇帝の権力争いが勃発します。

教会は階層制組織のもとで、上層部は絶大な権力と領土を持ち、また農民からは十分の一税を取り立てるなどといった制度を作り、皇帝などの世俗権力も介入するようになっていました。

その制度に聖職売買などの弊害が生まれたことでクリュニー修道院を中心に改革が進められ、教皇グレゴリウス7世は聖職者の任命権(叙任権)の世俗権力からの剥奪などの改革を推し進めます。

それに対し11世紀の皇帝、ハインリヒ4世は対抗し改革を無視しようとしたため破門され、教皇に謝罪することで許されます。(カノッサの屈辱)

5E59957136D7440DBF9B6212B7A58EDA.png

このことは、それまで皇帝に守られる立場であった(権力が皇帝より低かった)教皇が、皇帝を任命する立場になった(権力が皇帝より高くなった)という点で大きな意義を持ちます。

その後教皇の権力は13世紀初頭のインノケンティウス3世で絶頂に達しますが、皇帝との権力争いは続きます。

D825C0B60AFE405EBE5E344CC93F38FC.png

衰退

11世紀末のウルバヌス2世から始まる、200年に及ぶ十字軍の失敗により権力が低下し始めます。

13世紀末のボニファティウス8世は教皇の絶対性を主張し、1303年、フランス国王のフィリップ4世に捕えられ、謝らせられるアナーニ事件が起きます。

その後14世紀初めから70年間、フィリップ4世により教皇庁がフランスのアヴィニョンにうつされますが、古代のバビロン捕囚にたとえて「教皇のバビロン捕囚」と呼ばれます。

教皇がローマに戻ると、アヴィニョンでも教皇を名乗るものが現れ、両教皇が正当性を主張する教会大分裂(大シスマ)が起きます。

これらで教会の権威は失墜し、腐敗を招き、宗教改革を迎えることとなります。

関連単語

アナーニ事件 / イタリア政策 / カノッサの屈辱 / ギベリン / ゲルフ

タグ

この用語を含むファイル

世界史

21コンテンツを保存済み

関連動画

13:46
中世ヨーロッパ史16(受験に必要なローマ教皇全員を14分で)【世界史067】農三世界史
18:13
ローマ教皇権の衰退【ゼロから世界史19講】ユーテラ授業チャンネル【YouTubeの寺子屋】
25:07
中世ヨーロッパ史11(イギリスとフランスの発展)【世界史063】農三世界史
38:11
084 教会の権威(教科書131)世界史20話プロジェクト第09話(改訂版)Historia Mundi
21:13
中世ヨーロッパ史05(西ヨーロッパの封建社会)【世界史057】農三世界史

関連用語

神聖ローマ帝国
アナーニ事件
中世フランス
カノッサの屈辱
中世ヨーロッパまとめ