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叙任権闘争


概要

ローマ教皇についてのお話です。

王との権力争い、叙任権闘争を繰り広げます。

本来王に守ってもらう立場でしたが、11世紀には任命する立場として強い権威を誇ります。

しかし、十字軍の失敗などで権力は低下しました。

まとめ→中世ヨーロッパ

時代

10世紀〜15世紀

場所

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詳細

教皇権の拡大

10世紀、神聖ローマ皇帝が任命され権力が安定したのも束の間、教皇と皇帝の権力争いが勃発します。

教会は階層制組織のもとで、上層部は絶大な権力と領土を持ち、また農民からは十分の一税を取り立てるなどといった制度を作り、皇帝などの世俗権力も介入するようになっていました。

その制度に聖職売買などの弊害が生まれたことでクリュニー修道院を中心に改革が進められ、教皇グレゴリウス7世は聖職者の任命権(叙任権)の世俗権力からの剥奪などの改革を推し進めます。

それに対し11世紀の皇帝、ハインリヒ4世は対抗し改革を無視しようとしたため破門され、教皇に謝罪することで許されます。(カノッサの屈辱)

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このことは、それまで皇帝に守られる立場であった(権力が皇帝より低かった)教皇が、皇帝を任命する立場になった(権力が皇帝より高くなった)という点で大きな意義を持ちます。

その後教皇の権力は13世紀初頭のインノケンティウス3世で絶頂に達しますが、皇帝との権力争いは続きます。

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衰退

11世紀末のウルバヌス2世から始まる、200年に及ぶ十字軍の失敗により権力が低下し始めます。

13世紀末のボニファティウス8世は教皇の絶対性を主張し、1303年フランス国王のフィリップ4世に捕えられ、謝らせられるアナーニ事件が起きます。

その後14世紀初めから70年間、フィリップ4世により教皇庁がフランスのアヴィニョンにうつされますが、古代のバビロン捕囚にたとえて「教皇のバビロン捕囚」と呼ばれます。

教皇がローマに戻ると、アヴィニョンでも教皇を名乗るものが現れ、両教皇が正当性を主張する教会大分裂(大シスマ)が起きます。

これらで教会の権威は失墜し、腐敗を招き、宗教改革を迎えることとなります。

関連単語

アナーニ事件 / イタリア政策 / カノッサの屈辱 / ギベリン / ゲルフ

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