17世紀後半から18世紀初頭にかけての、ブルボン朝フランスの王。
絶対王政を目指し王権を強化、「太陽王」と呼ばれた。
宰相にマザラン、財務総監にコルベールをつけ様々な政策を展開する。
流れ→主権国家(フランス)
1643年〜1715年
4歳で王位についたため、幼少期は宰相マザランが実務を行っていました。
王権強化政策をとっており、フロンドの乱などの反乱も起きましたが鎮圧します。
成人してからは自ら権力をふるい、王権神授説 を唱えるボシュエを重用、「朕は国家なり」と言ったと伝えられています。
ナントの王令を廃止し、多数のユグノーが亡命しました。
財務総監にはコルベールがつき、東インド会社の再建をするなどの重商主義政策を展開します。
またヴェルサイユ宮殿を建設させたほか、王立科学アカデミーを設立するなどの文化振興策も進めました。
対外としては、17世紀に南ネーデルラント継承戦争、オランダ侵略戦争、ファルツ戦争と周辺国との争いを展開しましたが、いずれもわずかな領土を得ただけで本来の要求は通りませんでした。
1700年から1713年にかけて戦われたスペイン継承戦争では、ユトレヒト条約により実質的にイギリスに敗北しました。

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