明の3代皇帝で、鄭和の派遣やオイラトへの遠征などの拡大事業で知られる一方、海禁政策は続けており、勘合貿易などで日本には大量の永楽通宝が流入した。
2代の建文帝とは対立しており、燕王であった彼は靖難の役でその座を奪い、建文帝が洪武帝に続き拠点としていた南京から北京へと都を遷した。
皇帝の補佐としてはじめて内閣大学士をおいたが、宦官にも大いに頼っていた。
朱子学に基づく統治理念の徹底のために『永楽大典』の編纂を命じ、また科挙における公定注釈書(指定教科書のようなもの)として 『四書大全』・『五経大全』 を制定した。
流れ→明
まとめ→中国王朝
位1402年〜1424年

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