ハプスブルク家
概要
近世ヨーロッパにおける対立の主軸となったハプスブルク家についてです。
血統をつなぐことにより領土を拡大しましたが、イギリスなど主要国と対立し、海軍が敗れたことで衰退します。
まとめ→近世ヨーロッパ
時代
15世紀後半〜
場所
詳細
勢力拡大
15世紀末にイタリア半島にフランス王が侵入したことに、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝が対抗したことでイタリア戦争が勃発しました。
そして戦争の終結後も、ハプスブルク家とフランス王家の対立は18世紀半ばまでヨーロッパ国際関係の重要な対立軸となります。
オーストリアのハプスブルク家がスペイン王位を継承したことで、スペイン=ハプスブルク家のカルロス1世は カール5世 として神聖ローマ皇帝も兼ねました。
次のスペイン皇帝のフェリペ2世はレパントの海戦でオスマン帝国の海軍を破りました。
このことからスペインの海軍が「無敵艦隊」と呼ばれるようになります。 フェリペ2世がポルトガルの王位も兼ね、スペインとポルトガルの同君連合を結んだことで、ポルトガルの植民地も支配下においたスペインは「太陽の沈まない国」(=常に領土のどこかでは昼であるほど広い領土を持つということ)を実現しました。
大航海時代以降覇権を持っていたスペイン王国が最も輝いた時代です。
ハプスブルク家としては、スペイン(フェリペ2世)、ポルトガル(フェリペ2世)、神聖ローマ皇帝(フェリペ2世=カール5世)、オーストリアの王位を独占していたこととなります。
衰退
一方で、フェリペ2世がネーデルラントを支配し、自治権を奪おうとしたことで反乱が起きていました。
ネーデルラントの北部7州はユトレヒト同盟を結んでスペインに対抗し、ネーデルラント連邦共和国(=オランダ)の独立を宣言しました。
イギリスはオランダの独立を支援したため、スペインとイギリスの間でオランダ独立戦争が起こり、アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊が破られ、オランダは事実上独立を勝ち取り、海外進出を通じ発展、ウェストファリア条約により正式に独立します。
このことによりスペインの勢いは弱まりますが、ハプスブルク家の王位は継がれていきます。