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フランク王国

概要

ゲルマン人の立てた王国の中で大きな存在である、フランク王国のお話です。

ローマ教会との結びつきを強めながら領土を拡大していきます。

まとめ→中世ヨーロッパ

時代

481年〜870年

場所

ゲルマン人の移動後 7352958852384937A1E2EB58FA0BB165.png

詳細

481年にメロヴィング家のクローヴィスが即位したフランク王国は、アリウス派を信仰していた他のゲルマン人国家と違い、アタナシウス派に改宗したことで地元民の支持を得ました。

ブルグンド王国、西ゴート王国といったゲルマン人国家を次々と倒し、領土を広げます。

8世紀になると王家よりも宮宰(マヨル=ドムス)の権力が大きくなります。

宮宰カール=マルテルは732年、トゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム軍を退けると、西方キリスト世界を守ったとして権威を上昇させ、子のピピンがメロヴィング朝を廃しカロリング朝を開きます。

ローマ教会の長、教皇と接近し始めたのがこの時代で、ピピンが攻め、教皇に寄進したランゴバルド王国領、ラヴェンナ地方が教皇領の始まりとされています。

ピピンの子、カール大帝は教会との関係をさらに深め、レオ3世からローマ皇帝の帝冠を与えられ(「カールの戴冠」)、西ローマ帝国の復活を宣言します。

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この結びつきは、東ローマのコンスタンティノープル教会との対立による、ローマ教会の保護者を必要としたことに由来します。

カール大帝の死後に内紛が起き、ウェルダン条約とメルセン条約により9世紀半ばに東西フランクとイタリアに分裂し、後のドイツ(神聖ローマ帝国)、フランス、イタリアとなります。

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関連単語

カール大帝 / 教皇領 / クローヴィス / コンスタンティノープル

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レオン3世
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