フランク王国の解体以来、分裂していたイタリア半島のお話です。
大きく北部、教皇領、南部に分かれていました。
9世紀〜19世紀半ば

9世紀後半、フランク王国が分裂して誕生したイタリア王国ではカロリング家がまもなく断絶し、さまざまな都市が独立して分裂状態となりました。
ヴェネツィアやジェノヴァなどの海港都市が発展します。
神聖ローマ皇帝がイタリア政策で介入してくると、諸都市内部では教皇党(ゲルフ)と皇帝党(ギベリン)が互いに争い、統一は困難なものとなりました。
そしてナポレオンに服属後、ウィーン体制でオーストリアの支配下となります。
また、二月革命の後には、民族主義を掲げて「青年イタリア」を指導してきたマッツィーニも参加するローマ共和国が建設されましたが、フランス軍に倒されました。
サルデーニャ王国は一度はオーストリアと戦い敗れますが、統一の中心へと発展してゆきます。
中央部はローマ教会を中心に、教皇領と呼ばれる教皇の私有地となっていました。
19世紀にイタリア王国に組み込まれます。

南部は、12世紀前半にノルマン人が南イタリアとシチリア島に侵入、両シチリア王国を建国します。
この王国は19世紀にサルデーニャ王国に併合されることとなりました。
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