教育格差について、
僕は普段から遺伝的要因の格差について触れることが多いですが、遺伝的要因が残酷なまでの影響を及ぼすことは置いておいて、今回は教育格差について思うことを書きます。
親の経済力による、教育機会の提供のされ方が全然違うことを教育格差と呼んだりしますが、実際とんでもなく格差があります。
コロナ前の都心の予備校には、毎週地方から新幹線で授業を受けにくる生徒さんや、夏期講習、冬期講習には都心のホテルに住んで予備校に通う高校生などをよく見かけました。
医学部予備校なんかでは、家の裏に芸能人の誰々(国民的有名女優)が住んでるだとか、乗馬がどうとか、海外での経験が生徒同士の会話で普通に聞こえたりします。
逆に、地方には大学受験について指導してもらえる塾がそもそもないし、大学に進学するという価値観がその地域の人にはなかったりします。(個人的にはそっちの方が都会で競争競争するより幸せな気もします)
どんな経済力の親のもとに生まれたか、どこの地域に生まれたかで、とんでもない教育格差があるのは間違いないです。
一般入試では塾などに通わせてもらうことで格差ができたり、推薦入学などでは親の経済力により体験格差ができたり、どんな入学形式にせよ教育格差はあります。
ただ、社会に出たとき、本人が幸せなのかどうかについては、学生時代に親に下駄を履かせてもらったかどうかが必ずしもいい影響を与えるとは言えないと僕は思います。
下駄を履かせてもらった子供は、本来の自分の能力よりも上の集団に混ざってしまう可能性があります。例えば、本来はMARCHに合格できるかどうかの子が、仮に早稲田大学に入ったとした場合、その集団の中で生きていくことが本当に幸せなのかというと疑問です。(一般入試では中々ないですが内部進学ならむしろよくある)
早稲田大卒ということで、大企業に入社できたとして周りには優秀な社員がたくさんいる中、その後40~50年の仕事人生を幸せに生きれるのかというと、逆にその集団に紛れ込んでしまったことで不幸になる、下手すると会社についていけず退職して引きこもりになる可能性すらあります。
社会に出てからも経済力のある親が援助すればいい、コネを使えばいいという考えもあまり正しくないように思います。社会に出てから親の力を借りて本人が幸せに感じられれば良いですが、おそらくほとんどの人はそうじゃないのではないかと思います。例えるならゲーム序盤に他人の力で主人公のレベルを100にしてもらっても、ゲームが楽しめないことに似てる気がします。
社会に出てから親の経済力だけで生きてる引きこもりは勝ち組の象徴かと言われたら頷く人はほとんどいないかと思います。
結局最後は(社会に出てからは)自分の力で何ができたか、どの集団の中でどう活躍するかで人は幸せを感じられるのではないか、と感じます。無理に上の集団に入り込むことで不幸になるケースは山のようにあるはずなのに、いい大学(中学受験も当てはまります)にいかに入れるか、いかに入るかに親も本人も世間も焦点を当てすぎだと感じます。
また、他人を喜ばせる能力は親の財力でどうにか身に付くものではないです。
その点、育った家庭が貧乏でも努力で上の集団に入った人はそれだけで逆境に負けないという能力が備わっているとも感じます。
まあ、あくまで僕個人の意見です。