日本で「戦前」とか「戦後」というとき、前者と後者は多くの場合「8月15日の玉音放送」か「9月2日の降伏文書への調印」をもって隔てられる。
では、その「戦争」というのは、いったいなんだったのか。
日本は昭和12年(1937年)7月7日に起きた盧溝橋事件をもって中華民国との戦闘、つまり支那事変に突入した。当時の大日本帝国はアメリカから武器を買っていたが、アメリカには中立法という法律があったため、戦争しているわけではないということを主張するためにこの呼称を用いたと説明されることが多い。この戦闘は、現在では一般に「日中戦争」と呼ばれ、英語では日清戦争を「Sino-Japanese war」と呼ぶのに対して、この日中戦争を「Second Sino-Japanese war」と呼ぶことがある。
では、この一連の日本と中華民国との戦争は「第二次世界大戦」と言えるのだろうか。
第二次世界大戦を世界史の授業で学ぶ時、大抵の場合は「1939年の9月1日にナチス=ドイツの軍がポーランドに侵攻したことをもって第二次世界大戦が始まった」と説明される。ここからヨーロッパにとっての第二次世界大戦が始まったわけだが、大日本帝国はその2年前から戦争を開始していた。
では日本と中華民国の戦争が、ヨーロッパにおける第二次世界大戦と接続されていくのはいつなのだろうか。そもそもヨーロッパやアメリカは蒋介石に武器を援助していたため、この事実をどう評価するかは難しいが、それを置いておけばやはり最も妥当な契機は「真珠湾攻撃」ということになる。日時は日本時間で1941年12月8日。ハワイ時間で12月7日。
これによってアメリカが大日本帝国に宣戦布告し、大日本帝国は連合国との戦争に突入していくことになった。つまり、これをもってヨーロッパの第二次世界大戦と合流したと言える。これ以降は、中国大陸で戦争しつつ、東南アジアの方へ軍を進めつつ、アメリカと戦争しつつ、東南アジアにいるヨーロッパ列強の軍と戦うという状態になり、ご存知の通り1945年8月14日にポツダム宣言の受諾を連合国側に通知。8月15日に日本国内で玉音放送が流れ、9月2日に降伏文書に調印、即時発効した、という流れになる。
では改めて、日本が戦った戦争とはなんだったのか。
それを表現するためにこれまで生み出されてきた言葉はたくさんある。
戦前の日本が好んで用いた表現の1つが「大東亜戦争」というものだが、これだとアメリカと戦っているニュアンスはあまり感じられない。GHQは戦後の教育に影響を与えて、大東亜戦争という用語の使用を否定し、「太平洋戦争」という用語を使うように勧めた。しかしこの用語だと、東南アジアでの戦闘や中国大陸での戦闘の面影が全く感じ取れない。
これを統合する形で、「大東亜=太平洋戦争」という用語を使うこともある。もう少し無機的な、というか、機械的な用語として「15年戦争」というものもある。これは1931年9月18日の柳条湖事件から1945年8月14日のポツダム宣言受諾までの15年間ほどを指して使う呼称で、大日本帝国の対外戦争を一括している呼称になる。
この考え方、つまり、「日本は明治維新以降、一貫して対外膨張、主に中国大陸への侵略を企てていたのだ」という日本への批判的な考え方を拡張した呼称に「50年戦争」というものもある。1945年から50年巻き戻してみよう。
…ちょうど、1894年ごろの日清戦争になる。
つまり、この呼称を用いる人は、日本が一貫して50年に渡り軍国主義化を進めていたのだ、という歴史観の上に立っていることになる。東京裁判ではA級戦犯が「侵略戦争または国際条約・協定・保障に違反する戦争の計画・準備・開始および遂行、もしくはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参画した行為」という平和に対する罪への戦争犯罪の分類になるので、A級戦犯を裁いた立場からすると、この歴史観は非常に好ましい。
まぁ、いずれにしてもこういった細かい用語の問題があるため、どうやって「あの戦争」を呼ぶべきか、はすごく難しい。だから、「あの戦争」という呼称をここでは採用した。
日本の歴史を12時間で語る。
→https://youtu.be/d2VzEJ5BaiE
受験日本史に関する鬼リピ動画。
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#概要欄にあの戦争に関する小噺があります