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〇世界史入試問題解説(東大、京大、一橋、早慶、共通テスト)
• 東大世界史解説
①高1授業動画(古代史)
• 高1世界史(古代史)
②高2授業動画(中世史・近世史)
• 高2世界史(中世史から近世史)
③高3授業動画(近現代史)
• 高3世界史(近代史から現代史)
第1問
20世紀の民族運動の展開を考えるさい、第一次世界大戦の前後の時期は大きな意味をもっている。この時期にはユーラシアの東西で旧来の帝国が崩壊し、その結果一部の地域では独立国家も生まれたが、未解決の問題も多く残った。それは、現代世界の民族と国家をめぐる紛争の原点ともなった。こうした旧来の帝国の解体の経過とその後の状況について、とくにそれぞれの帝国の解体過程の相違に留意しながら、解答欄(イ)に15行(1行30字)以内(450字)で述べよ。なお、下に示した語句を一度は用い、使用した箇所には必ず下線を付せ。
民族自決、三民主義、少数民族、シオニズム、アラブ、モンゴル、オーストリア・ハンガリー、バルト三国
解答のポイント
①中国とロシアでは帝国解体後も多民族国家が維持された
②中国では三民主義を掲げた孫文による辛亥革命で大清帝国が滅亡
③外モンゴルが独立を実現するものの、ウイグルやチベットなどの民族問題は残った
④帝政ロシアは革命によって崩壊し、社会主義政権が成立
⑤大戦後、民族自決の原則の下、フィンランド、ポーランド、バルト三国など東欧諸国は独立
⑥大部分は帝国に留まり、複数の共和国からなる連邦国家を形成
⑦第一次世界大戦の敗戦国ドイツ、オーストリア、オスマン帝国では多民族国家の解体が著しく進んだ
⑧第一次世界大戦末期にドイツ帝国は革命により崩壊、戦後全ての植民地を奪われた
⑨また、オーストリア・ハンガリー帝国も解体され、チェコスロヴァキアなど多くの領土を失った
⑩オスマン帝国もセーヴル条約によって解体され、その領土には英仏による委任統治が採用
⑪大戦中のイギリスの多重外交はシオニズムとアラブ民族主義の対立を激化させた
⑫ムスタファ=ケマルにより条約は改定されるも、クルド人などの国家を持たない少数民族の問題を残した
解答例
中国とロシアでは帝国解体後も多民族国家が維持された。中国では三民主義を掲げた孫文による辛亥革命で大清帝国が滅亡。外モンゴルが独立を実現するものの、ウイグルやチベットなどの民族問題は残った。帝政ロシアは革命によって崩壊し、社会主義政権が成立。大戦後、民族自決の原則の下、フィンランド、ポーランド、バルト三国など東欧諸国は独立したが、大部分は帝国に留まり、複数の共和国からなる連邦国家を形成した。第一次世界大戦の敗戦国ドイツ、オーストリア、オスマン帝国では多民族国家の解体が著しく進んだ。第一次世界大戦末期にドイツ帝国は革命により崩壊。戦後全ての植民地を奪われた。また、オーストリア・ハンガリー帝国も解体され、チェコスロヴァキアなど多くの領土を失った。オスマン帝国もセーヴル条約によって解体され、その領土には英仏による委任統治が採用。大戦中のイギリスの多重外交はシオニズムとアラブ民族主義の対立を激化させた。ムスタファ=ケマルにより条約は改定されるも、クルド人などの国家を持たない少数民族の問題を残した。(450字)