宋
概要
五代十国の後の宋のお話です。
制度を整える期間、王安石による改革の期間、外患に悩まされ南に移る期間があります。
まとめ→中国王朝
時代
960年〜1276年
場所
詳細
政治
960年、五代最後の後周の将軍、趙匡胤は太祖として宋を建国し、徹底した文治主義政治(官僚が軍人ではなく文人である政治)を行います。
11世紀後半の皇帝、神宗は王安石を宰相にし、新法と呼ばれるさまざまな新しい制度を作ります。
富国強兵策ではありましたが、急激であったことから反感も生まれ、王安石の死後に新法党と旧法党で争いが起き、国力は衰えます。
12世紀前半、北方民族の一つの女真族の国である金により皇帝が捉えられる靖康の変が起きると、高宗は江南に首都を移し南宋を立てます。
この頃になると政党は金に対する政策で分裂、秦檜ら和平派と岳飛ら主戦派で争います。
そして13世紀後半、元により滅ぼされることになります。
社会
文治政治を重視したことから、科挙が整備され、五代時代に生まれた新興地主層が学問をおさめ官僚となり形勢戸となる動きも見られました。
商業活動も盛んであり、草市や鎮なども中心地や、行や作などの同業組合も生まれます。
これらの活動により貨幣経済が浸透し、交子や会子などの紙幣も発行されます。
また都を南に移したことで江南開発が進み、田地面積が急激に伸びます。
文化
貴族に代わり官界へ進出した儒学知識を持つものは士大夫とよばれ、知識を共有しました。
儒学が発展した宋学(朱子学)もこの頃生まれ、周敦頤に始まり朱熹(朱子)が大成します。
四書が重んじられるようになり、上下関係を重視する大義名分論が盛んになります。
歴史学では司馬光が有名で、『資治通鑑』は従来の紀伝体ではなく編年体で書かれているのが特徴です。
古文復興の動きも見られ、欧陽脩や蘇軾の二人の名分家は唐の名文家と合わせ「唐宋八大家」と呼ばれることもあります。
庶民文化も栄え、音曲に合わせた詩が多く作られます。
美術品としては、シンプルな磁器、白磁・青磁や、写実的な宮廷画の院体画、士大夫による文人画が盛んにつくられます。
唐代から行われていた木版印刷の発展や、ヨーロッパから入ってくる羅針盤や火薬の研究などが行われています。
交易によって、広州、泉州、明州(寧波)などの港市が発展し、市舶司により海上交易は管理されました。