白豪主義
白豪主義
白人(ヨーロッパ系)以外の移民を厳しく制限した政策。
事実上、ヨーロッパ系以外の移民を完全に禁止した。
19世紀に起こったゴールド・ラッシュに伴い急増した中国系移民との軋轢がきっかけで生まれた。
1901年に始まり、1970年代に徐々に廃止された。
民族・文化政策の歴史
~18世紀
もともとは先住民のアボリジニが住み、狩猟・採集を中心とする生活を営んでいた。
高度な文明が発達することはなかった。
流刑植民地時代(18世紀後半~)
18世紀後半にイギリスの流刑植民地として開発が始まり、イギリスから大量の犯罪者が送り込まれた。
19世紀に流刑地でなくなってからも、広大な土地を求める農業移民がイギリスから流入した。
このような経緯から、オーストラリアはイギリス系住民が中心となって社会をつくった。
沿岸部から開発が進展し、アボリジニは内陸部に追いやられた。
ゴールドラッシュ(19世紀後半~)
19世紀半ばに金鉱山が発見され、一攫千金をねらって大量の移民が流入した。
特に中国系移民が多く、イギリス系住民との文化的衝突が絶えなかった。
白豪主義(20世紀~)
中国系移民との衝突に嫌気がさしたオーストラリアでは、1901年に自治を獲得して以降、有色人種を排斥する機運が高まった。
オーストラリア政府は、ヨーロッパ系以外の移民を厳しく制限した。これを「白豪主義」という。
第二次世界大戦を経て、戦後の急速な経済成長に対応するため、非英語圏の南欧やアイルランドからの移民が増加した。
アジアへの接近(1970年代~)
1970年代以降、
- イギリスの国際的地位の低下
- イギリスのEC加盟
- インドシナ難民の発生
- 日本の経済成長
など複数の要因によって、オーストラリアはアジアとの結びつきを強める方針に転換した。
当然アジア人は白人ではないので白豪主義は撤廃せざるをえなくなり、1970年代に白豪主義は撤廃された。
多文化主義(現在)
現在では、多様な文化・人種・民族の存在を認め、それぞれの特色を尊重しようという多文化主義に転換している。
アボリジニも、1967年に市民権を獲得するなど待遇改善が進み、アボリジニの文化が尊重されるようになった。
おおむね移民に寛容な政策をとってきたオーストラリアだが、特にコロナ禍以降は移民が急増。あまりにも移民が増えすぎたと感じる人が増加し、排外主義の台頭もみられている。