契丹
概要
ウイグルが西に移動した後にモンゴル高原で発展した国です。
華北にまで進出し、華南の宋と澶淵の盟を結び友好な関係を保ちました。
東部に興った金と宋により滅ぼされます。
まとめ→中国周辺民族
時代
10世紀〜1125年
場所
詳細
唐の衰退と同時期に力をつけ始めた、ウイグルに服属していた国で、遼という中国風の呼びも使われていました。
ウイグルなどのトルコ系遊牧民族が西に移動しできた空白のモンゴル高原に進出し、907年に耶律阿保機がハン(皇帝位)につきます。
後晋から華北の燕雲十六州を獲得すると、西夏と結び高麗を服属させるなど盛んな拡大をみせました。
五代十国時代の後に華南を支配した宋とは対立関係ありましたが、澶淵の盟が結ばれてからは目立った争いは起きませんでした。
遊牧民は部族制、定住農耕民には州県制を適用する二重統治体制を取り、それぞれ北面官、南面官と官制も分かれていました。
文化面では契丹文字の開発などの特徴が挙げられます。
新たに勃興した金と、宋に挟み撃ちされ滅びましたが、皇族の耶律大石は西走し 西遼(カラ=キタイ) を建国しました。
補足
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