北方諸民族
概要
唐の後、五代十国時代や金、宋の時代に中国の北で活動した民族についてです。
契丹、その西の西夏が挙げられます。
まとめ→中国周辺民族
時代
10世紀〜11世紀
場所
詳細
契丹(遼)
ウイグルの衰退と共に、契丹が勢力を強めます。
10世紀初めには耶律阿保機が東モンゴルを中心に国家をたて、渤海を滅ぼし、その後遼と国名を変えます。
五代の後晋をたすけた代償として燕雲十六州を領土にとりこむと、宋の成立後も脅かしたことから11世紀はじめに「澶淵の盟」を結びます。
また管制も北部は民族系統治に使われる部族制を、南部は漢民族系に使われる州県制により分けるなど工夫していました(二重統治体制)
そしてウイグル文字、漢字の影響を受けた契丹文字も完成させました。
金がおこると宋と結ばれ、攻められたことで滅びます。
耶律大石が中央アジアに逃れ西遼をたてたことで、契丹の文化は維持されました。
西夏
中国西北部で吐蕃などを破り、西夏が立ちます。
西夏文字が作られ繁栄し、11世紀には宋と慶暦の和約を結びました。
元によって13世紀に滅ぼされた、北方民族にしては長い国となりました。
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