チベット高原周辺に居住する民族。
8世紀に繁栄した吐蕃は衰退するものの、チベット仏教は存続し、現在に至るまで指導者ダライラマの元で信仰されています。
流れ→東アジア文化圏
まとめ→中国周辺民族
吐蕃 7世紀〜9世紀
ダライラマによる統治 16世紀〜

7世紀にチベット高原をソンツェン=ガンポが統一して立てられた国が吐蕃(チベット王国)です。
唐の文成公主などの王女を迎えるなど、友好な関係を保ち文化も導入した一方、インド文化の影響を受け、チベット仏教やチベット文字を生み出すなどしました。
西域に進出し、8世紀に最盛期を迎えますが、ウイグルに圧迫され、9世紀には内乱により衰退します。
チベット仏教は元の時代に厚く保護され、僧侶パスパによって生み出されたパスパ文字や、道教系統の全真教との融合がその例です。
元朝が途絶えた後もモンゴル人は信仰を続け、15世紀にツォンカパによる改革が起き、黄帽派となります。
16世紀のモンゴルの王、アルタン=ハンはチベット仏教に深く帰依し、ダライ=ラマの称号を作ります。
ラサのポタラ宮殿に住むダライ=ラマがチベットのモンゴル人の実質的な王の存在となり、その後も継承されていきます。
17、18世紀にはジュンガルと清に取りあわれ、康熙帝の時に清朝の支配下となります。
支配関係ではありましたが、清朝が保護者であるという側面もありました。
清朝が倒れるとダライ=ラマ13世は独立を宣言しますが、1950年に中華人民共和国に編入されます。
ダライ=ラマ14世を代表として反乱を起こしますがこれは鎮圧され、現在までダライラマはインドに亡命しています。
宗教的指導者として平和的解決を訴えたダライラマ14世は、ノーベル平和賞を受賞しています。

この用語を含むファイル
関連動画