戦後秩序の形成
概要
第二次世界大戦の後の国際秩序の形成についてのお話です。
国連などの国際機関が設置された他、ドイツ・日本は旧連合国が占領し、戦争裁判人の裁判などが行われました。
まとめ→大戦後
時代
1945年〜
詳細
国際機関
連合国側は第二次世界大戦中の1941年、大西洋憲章を発表し、戦後の基本方針を発表します。
国際連盟にかわる新しい国際機関として国際連合(国連)が提案され、45年のサンフランシスコ会議で正式に採用されます。
国連には総会と安全保証理事会が設置され、前者は全加盟国が参加、後者は米・英・仏・ソ・中の五カ国の参加で拒否権をもつこととなりました。
経済面では 国際通貨基金(IMF) などが設置され、ドルが基軸通貨(各国通貨との換算相場が固定される通貨)となります。
このアメリカ中心の世界経済はブレトン=ウッズ体制と呼ばれ、70年代まで続きます。
ドイツ
敗北したドイツは、4国による分割統治をされます。
ニュルンベルクに国際軍事裁判所が置かれ、戦争にかかわった人の裁判が行われました。
分割された東西ドイツは冷戦の表れともなり、統一までには長い年月を要しました。
日本
ドイツと同様に敗北した日本は、アメリカの単独占領下に置かれます。
GHQ(連合国最高司令官総司令部)が設置され日本を管理し、民主的改革を行います。
主権在民・基本的人権の尊重・象徴天皇をうたう日本国憲法も、46年に公布されました。
裁判のためには極東軍事裁判所が設置されました。
51年には独立を回復し、工業を要に発展を遂げていきます。
補足
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