1894年に朝鮮の内政干渉を巡って勃発した、清と日本の戦争。
下関条約で得た遼東半島の領有権に対し三国干渉が行われ、真に対しては列強の中国分割が行われる引き金となった。
流れ→清
1894年

19世紀後半の朝鮮には、清と日本のどちらもから圧力がかかっていました。
内部でも親日派と親清派で別れる中、金玉均らの親日派がクーデターを起こし、当時の親清派だった閔氏政権を打倒すると、清が介入して日本公使館を焼き討ちします(甲申事変)。
1885年に天津条約で両国軍隊の派遣の際には事前通告することが約束されました。
1894年に朝鮮でキリスト教に反対する東学という新宗教の教団が全琫準を指導者として蜂起し、甲午農民戦争(東学党の乱)が勃発すると、その鎮圧のために清朝軍が派兵、この通告を受けて日本も派兵します。
そして朝鮮への影響力を巡って日清戦争が開幕します。
日本の主張を受け入れる形で下関条約が結ばれます。
下関条約では、以下のことが定められました。
ロシア、ドイツ、フランスは日本の影響力の強さを危惧し、三国干渉により遼東半島の返還を求めます。
そして日本はそれを認めますが、弱体化を暴露した清は列強による中国分割を受けることとなります。
朝鮮を釣り上げようとする日本と清、横取りを企んでいるロシアを描いている。
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