ムッソリーニ
概要
イタリアでファシズム内閣を成立させた人物。
一党独裁体制を敷き、厳しい統制を行った。
ファシズム陣営の枢軸国として第二次世界大戦に突入すると、敗色が濃くなり失脚した。
流れ→ファシズム
時代
1883年〜1945年
場所
詳細
イタリアでナショナリズム活動を行っており、1919年に政治集団ファッショを結成します。
その名から、国民生活を統制することによって国家の危機を克服すること(全体主義)を唱えた彼の思想や組織形態はファシズムと呼ばれました。
私有財産を否定する社会革命に恐怖感を覚えた地主層に支持され、21年に全国のファシズム勢力を統一し全国ファシスト党へと成長させます。
「ローマ進軍」を決行し首相となった彼は、ファシスト党の一党独裁体制を実現、厳しい統制を敷きました。
一方で、フィウメの併合、アルバニアの保護国化などを実現、教皇庁とのラテラン条約による和解や社会事業の推進などを行い、国民の支持を得ることに成功していました。
35年、植民地獲得のため国際連盟の調停を拒否してエチオピア侵攻を行います。
英仏は宥和政策を取り、それ以上の侵攻を食い止めるためイタリアに有利な収拾案が決議されました。
しかしこれでイタリアは勢いづき、エチオピア全土の併合に走ります。
36年、ムッソリーニは同様にファシズムをとっていたドイツと連携路線をとってベルリン=ローマ枢軸であるとの声明を発表し、翌年には日独防共協定に加盟し日独伊三国防共協定を完成させ、この陣営は「枢軸国」と呼ばれるようになります。
アルバニア併合を強行し、イギリスなどの宥和政策を転換させると、第二次世界大戦では連合国に劣勢な戦いを強いられて失脚、バドリオ内閣が成立することとなりました。
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