東南アジア植民地化
概要
近世〜近代にかけて、植民地拡大が進んだ時代に被支配国となった東南アジア諸国についてです。
大陸部は主にフランスが、マラッカ海峡付近はイギリスが抑え、オランダやスペインも支配地を持っていました。
まとめ→東南アジア
時代
16世紀〜19世紀
詳細
大航海時代をすぎると、東南アジアは貿易の拠点として栄え、強国に占領されることとなります。
マラッカ王国がポルトガルに占領されたのを皮切りに、スペインなどもやってくるようになりますが、17世紀に入るとイギリス、オランダが力を伸ばすようになりました。
ジャワ島
アンボイナ事件を経て18世紀後半にオランダの勢力が増すと、ジャワ島の大半を支配するようになります。
支配地では強制栽培制度が導入され、貿易で莫大な利益があげられました。
マレー半島・ビルマ
マレー半島、ビルマにはイギリスが進出しました。
ベナン・マラッカ・シンガポールは海峡植民地と呼ばれ、航路を握る重要地として支配されました。
1870年代になると、都市ごとの支配から領域の支配に切り替え、マレー連合州として諸州の支配を確立します。
一方ビルマでは、唐の衰退に伴い興ったタウングー朝が滅び、コンバウン朝が成立します。
インドへの進出も目論みますが、イギリスによりビルマ戦争の末阻止されました。
フィリピン
フィリピンにはスペインが進出します。
カトリックの強制や大農園でのプランテーション農業の強制など圧力的な支配を行います。
また港市マニラは正式に開港されました。
ベトナム・ラオス・カンボジア
ベトナムでは16世紀以降黎朝により名目的に支配され、南北に分裂していましたが、18世紀に南北両政権が倒され統一が図られます。
これに対し、阮福暎がフランス人宣教師ピニョーなどの力添えで統一政権を倒し阮朝をたてました。
19世紀、フランスの進出に黒旗軍を中心に抵抗しますが北部、中部を抑えられてしまいます。
阮朝は清の支援を受けていたため、宗主権をめぐる清仏戦争が勃発しました。
1885年に天津条約によりフランスの勝利が定められると、カンボジアやラオスへも進出し、フランス領インドシナを完成させます。
タイ
東南アジアで唯一独立を保ったのが、地理的に緩衝地となったタイでした。
アユタヤ朝ののち、18世紀に現王朝であるラタナコーシン朝がたちます。
首都はバンコクに置かれ、チュラロンコンらの巧みな政策で近代化が進み、植民地化を免れることとなったのでした。