プランテーション
プランテーション農業
定義は、
熱帯・亜熱帯地域で、輸出向けの商品作物を大規模に栽培する農業
です。
プランテーションは大企業(しばしば海外資本)によって経営され、現地住民や移民、19世紀以前は奴隷の労働力を用いて農場で単一の商品作物が栽培されています。
日本に住む皆さんには馴染みがないと思うかもしれませんが、実はプランテーション農業ってとっても身近なものです。例えば、皆さんもバナナや果物ジュースでおなじみのDole。Doleは米国の企業で、主にフィリピンでプランテーションを経営し、バナナとパイナップルを中心に栽培しています。フィリピンのDoleの農場では多数の現地住民が農作業に従事し、Doleから給料をもらって生活しています。
成り立ち
ざっくり解説した動画があるのでまずはそれを見てみて下さい。
起源は16世紀以降、大航海時代以降のヨーロッパ諸国の海外進出にあります。
そもそも大航海時代、ヨーロッパ諸国が積極的に海外進出を進めた理由は熱帯でしか採れない香辛料などの確保でした。
ヨーロッパは温帯ですから、バナナ、香辛料、茶、コーヒー、タバコ、砂糖、綿花、天然ゴム、アブラヤシといった商品作物が育ちません。そのため、ヨーロッパ諸国は熱帯・亜熱帯気候の地域からこれらの商品作物を輸入しなければならなかったのです。
ヨーロッパは大航海時代を通じて輸入経路を開発していきますが、次第に「現地と取引するよりも、現地を支配して自前で作らせた方がお得に手に入るんじゃね? 中間マージンも取られないし、賃金も下げて安く作れるじゃん」と気付いてしまいます。そうして植民地をどんどん広げていき、そこにプランテーションを作っていったのです。
代表的な地域
- アメリカ合衆国南部・・・綿花
- セイロン島北部・・・茶
- ミンダナオ島・・・バナナ
- スマトラ・ボルネオ・・・アブラヤシ
この他にも数えきれないくらいたくさんのプランテーションがありますが、詳しいことは地誌で学んでいきましょう。
問題点
プランテーション農業には数々の問題点があると言われていますが、代表的なものを紹介していきましょう。
環境問題
プランテーションを開発するためによく用いられる手法が熱帯林の開拓です。このため、プランテーション開発は熱帯林の減少と密接に関係しているのです。
例えば、近年アブラヤシプランテーションの開発が急速に進められているインドネシアでは、スマトラ島の熱帯林は30年で半分になってしまいました。低地の森は殆ど全てが農地へ転換され、かつてスマトラ島の半分以上を覆っていた熱帯林は目を覆うほどの惨状となっています。
経済的問題
これはプランテーション農業そのものの問題というよりは植民地政策の問題なのですが、プランテーションに頼ったモノカルチャー経済を引き起こしやすいという問題があります。
植民地時代、欧米諸国は植民地を資源や商品作物の供給地としてしか捉えておらず、そのため植民地の経済的開発が遅れてロクな産業が育たず、さらに食料生産を後回しにしてでもプランテーションでの商品作物栽培を優先するといったことまで行われていました。その植民地の経済はプランテーションに頼りきりだったということです。
そのため、独立後もまずは外貨を稼ぐためにプランテーションで栽培された商品作物に国の経済が頼りきりになるという経済構造が続いてしまう事例が多発してしまいました。
ものすごい余談で申し訳ないのですが、少しだけ。 タイが米の輸出国になったきっかけがプランテーションであるということはあまり知られていません。当時東南アジア諸国はタイ以外すべて植民地で、天然ゴムなどのプランテーションが盛んに開発された結果食料生産が圧迫され、たびたび食糧不足に陥っていました。これを補ったのがタイで、タイは米の輸出で潤っていました。タイの米輸出が盛んなのはこの時代からなのです。
移民問題
プランテーションは大量の労働力を必要とします。現代では機械化が進んだのでそれほどでもありませんが、昔は全て手作業だったので膨大な数の労働者が必要でした。
こうなると、現地の住民だけでは労働力を賄いきれないことがあります。そこで、他の場所から奴隷や移民を連れてくることになったわけです。
顕著なのがアメリカ南部やスリランカでしょう。
アメリカ南部では18世紀以降綿花プランテーションが続々と開発され、その労働力としてアフリカから黒人奴隷が連れてこられたのは有名な話です。このためアメリカ南部には大量の黒人が定着し、現在のアメリカ合衆国でも人種差別問題の火種として残っていることは周知のことでしょう。
また、地理でよく取り上げられるのはスリランカです。
セイロンティーで有名なスリランカでは英領になった時期から茶のプランテーションが開発されましたが、この労働力として英領インド(当時)からタミル人が移民としてやってきました。この結果タミル人は茶のプランテーションがあったスリランカ北部に定着し、現在に至る民族紛争の火種になっています。