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僕の高校2・3年生当時の生活は悲惨なもので、高3の1学期の中間試験を名前だけ書いて、全教科白紙で出しました。その当時は家は出るけど学校には行かず、そういうような形でSOSを発して、とにかく自分のまわりの人間に「助けて」と訴えるような行動ばかりの真っ暗な高校時代でした。高2高3と出席日数が足りなくなるような有り様でした。
高3の1学期中間試験が終わった直後、親に東京個別指導学院という個別指導塾に連れていかれました。そこで、英語、数学、物理を教わりました。講師は現役の大学生。英語の先生は東大の長谷川先生、数学は千葉大の丸山先生と理科大薬学部の大多和先生、物理は理科大工学部の岡村先生と学習院大理学部の高橋先生です。
高校3年生の自分にとって現役の大学生の講師たちと話す機会があったことはとてもプラスに働きました。
特に、理科大薬学部に通う大多和先生の影響を受けて、夏ごろから理科大理工学部を志望するようになりました。
高校1、2年と、全くというレベルで数学も物理も勉強していなかったため、数学が足を引っ張りましたが、微分でグラフを正確にかくこと、漸化式の計算、ベクトルの垂線をおろす問題など、各単元、定期試験レベルの問題をミスしないことに時間をかけ、物理、英語で数学の不出来をカバーして、現役で理科大理工学部に合格しました。
大学生になると同時に東京個別指導学院(TKG)で講師としてアルバイトを始め、講師の仕事が楽しくて仕方ない反面、高校生の時と同様に理科大に通えず、半年で中退を決意しました。
アルバイト先の先輩講師の方々に相談していく中で、僕自身が保育園の頃から中学生の頃まで、ことあるごとに将来の夢としていた小学校の先生を改めて目指すことに決めました。親に話して、大学1年生の9月に、理科大を辞めることと、これから東京学芸大を目指すことを納得してもらいました。そこから1年半、TKGで講師としてアルバイトをしながら、ほとんど自宅浪人をしました。年齢としては2浪目の夏に河合塾の夏期講習を1講座だけ申し込み受講しました。僕が予備校の授業というものを受けたのはそこが最初です。今は東進にいるのかと思われますが、大吉先生の授業でした。
その後、2学期には、前述したTKGの講師である理科大薬学部の大多和先生が受験時に通っていた代ゼミで荻野先生の授業を受けていたというので、TKGのアルバイト代で、代ゼミで荻野先生の天空への理系数学という単科の講座を受講しました。
週に1回、金曜日の18時から90分だったかと思いますが、東京学芸大学に入学する頃には、将来の夢は小学校の先生から予備校講師に変わっていました。
ここで一番伝えたいのは、自分が「これになりたい」と思うものはそれに出会った瞬間に必ずわかるということです。そして「これ自分にもできる」とも感じました。うぬぼれかもしれませんが、知識さえあれば自分にも授業することができるとはっきりそう思いました。
そこに至るまでの過程を書かないと伝わらないと考えたため、長々と書きました。参考になればと思います。
自分が本当に心底なりたいものというのは、必死になって探し続けないとおそらく一生見つかりません。
また、見つかっても、その技術、知識、能力を社会に出る前、つまり大学生の間に身に付けないと、働き出してからは自由な時間があまりに少ないので、現実問題遅すぎます。つまり現段階でこれで食っていくというものがない場合、大学生の間に見つけ、それをプロと遜色ないレベルに磨き上げる必要があることを認識すべきです。そうでないと流されるように生きることになります。
最後に、今回は僕がなりたいものを見つけるまでの、僕の実体験を書きましたが、それに出会ったときには必ずわかるはずですし、おそらく、「これなら自分にもできる」と感じるはずです。
また、あくまでそれに出会う「経緯」を話しただけで、「理由」「動機」のようなものは一切記しませんでしたが、それはいずれ。
その後の僕の大学時代の行動はどこかに記してありますので探してください。