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本題に入る前に、確率の1番「確率1:確率の本質①《京都大2012年文系》」の動画のサムネイルは2つ用意しました。一つは「京都大2012年文系」と書かれているサムネイル、もう一つは、それが書かれていないサムネイルです。Youtubeでテストした結果は大学名が書かれていないサムネイルの方が視聴者が動画を再生する率が高かったようで、現在は自動的に後者のサムネイルが使われております。Youtube側は多くの利用者に再生してもらった方が良い、つまり再生数が正義というのは分かりますが、僕個人としてはむやみやたらに多くの人に見てもらいたいとは思っていないのになあ、と考えたりします。授業で扱うレベルの関係で対象者はかなり限られるからです。偏差値45の人が無理して見るものではないです。大学名がサムネイルに書かれていることで、視聴者が絞られますが、絞る意図もあります。という話です。この話は今後改めてするかもしれませんが一旦終わりです。
ここ1ヶ月で5人以上の友人に会いました。仕事の知り合い、大学の同級生、中高の同級生、元生徒などです。誰しも1:1で、その中に学校の先生をしている人はいません。3月末には他県にいる、学校の先生をしている複数の友人に会いに行ってきます。
今回それぞれと会話してて思うのは、みんな仕事はしているけど、仕事を辞めたら自分が何をしたいかわからない、そして仕事が人生を賭けてやりたいことというわけでもない。中には今すぐ仕事を辞めても家族全員死ぬまでお金に困らない状況だけど、仕事を辞めたら何をすればいいかわからないから辞める決断ができないという友人もいました。
ここで改めて話したいのが、自分は人生で何をしたいのかを真剣に考え続けることの重要性です。事あるごとに考える、だとか時折考える、ではダメで、ただひたすら毎日「考え続ける」ことです。
おそらくワンピースの作者である尾田先生や、君の名はで有名な新海監督、人気歌手として活躍している人々、プロスポーツ選手として活躍している人々は皆、10代には自分が人生で何をやりたいかを見つけて、ただひたすらそこに時間を突っ込んで行動を継続してきたのだと思います。
これを読んでいる受験生で、人生で何をやりたいかがまだ明確ではない人がいるなら(95%はそうだと思います)、今この瞬間から考え続けるべきです。自分がこれまで生きてきた十数年を振り返って、何に興味があって、何が好きで、どんな時に嬉しくて、死ぬ間際にどうなっていたいかをひたすら考えるべきです。
この文章の中には答えはありませんし、SNSをひたすら眺めていても答えは一生見つかりません。
見つかるまで真剣に考え続けなければなりません。場合によっては人に会いに行ったり探しに出かける必要があるかもしれません。ざっくりやりたいことではいずれ必ず他人に人生を奪われます。例えばYoutuberなどはほとんどがそんな気がしますが、気づいた時には自分のやりたいことではなく、社会が要求していることをやっていたりします。社会は容赦無くあなたの時間も気概も奪ってきます。解像度を極限まで高めて考えるべきです。
おそらく大学を卒業するまでに見つける必要があります。そして25歳、どんなに遅くとも30歳までに人生を賭けてやりたいことに取り組んでいる必要があります。見つけること以上に行動に移すことはもっと難しいです。大なり小なりリスクをとる覚悟が必要だからです。
仕事である必要はないですが、仕事でないなら、別で生活費を得るための仕事に多くの時間を持っていかれます。だから、本当は大学の間に人生を賭けてやりたいことで生活費が得られることが望ましいです。どこかに就職すると自分のやりたいこととはズレたことに多くの時間ややる気を持っていかれます。
そして30歳までにというのは、やっぱり30歳には自分の人生の幸福度を高めるために家族子供に自分の時間を費やす必要が出てきます。「自分の人生の幸福度を高めるために」先を見据えて次の世代にバトンを渡し始めるんです。そのタイミングを逃すと、中年以降20代の頃とは大きく考えが変わって後悔する可能性が高いです。
僕自身は、人生を賭けてやりたいことはこの授業を残すことです。どこかの遺跡で誰かが石板に文字を残したように、王族がピラミッドを残したように。
僕自身の話でいうと、浪人時代に予備校講師になると決めました。それから予備校講師になって2014年まではただひたすら働き続けました。身体と精神を壊し、全てを退職し、自分がこの先の人生で何をしたいかひたすら考え、授業を動画に残すことがしたいと思いました。ひらめく、という感覚に近いです。それを実行に移し、今も撮影を続けることは、やりたいことを見つけることとは別のベクトルでハードルが高いことでした。
2015年に撮影して2022年に撮影を再開するまでの、2016~2022年は働かなくても生活できる仕組みの構築に全力を尽くしました。しかし、その間もずっと授業の動画を撮りたいという気持ちは奥底にあったので、本当にやりたいことがあるのであれば、当の本人にはわかるはずです。
僕自身は、変わらないものが好きです。数学、教育、そして動画というデータ、どれも他に比べたら何十年変化しません。20年前も後も同じ数学を教育の現場でやっているだろうし、データは、手で触れる物体と違って劣化していかないし、動画内の自分も撮ったその日から歳をとりません。変わらないものの他には作ることも大好きです。工作、絵を描く、折紙などは小さい頃好きでした。それが動画を作ることにすり替わり、絵を描くことは立体図形を手際よく描くことに繋がっています。
作ったものを楽しんでもらうことも好きです。小学生の頃は僕が作った工作や描いた漫画が教室の後ろにいくつも置かれていて、同級生がそれでよく遊んでいたと、担任の先生から卒業の時にもらった手紙には書いてあります。
話を戻すと正直大学受験がなくなっても僕は全く気になりません。娯楽としての数学が極々一部に受け入れられればそれで良いです。誰が読むかもわからないが、誰かに向けて洞窟の石板に文字を刻む感覚と同じです。
そして、人生を賭けてやりたいことがわかっていて、それに取り組んでいるとしても、とんでもない苦痛を伴い続けるはずです。やりたいことをやっている、理想とすることをやっている、それは少しでも理想に近づこうとしていることなので、真剣なわけです。今日はうまくできる気がしないから明日でいいや、がひたすらつきまといます。過去に取り組んだことを、もう一回取り組む時間があるなら、今の自分なら、10年後の自分ならもっとうまくできるのに、がつきまといます。
しかし、時間だけは何をしていても流れていきます。実際のところ、こんな文章を読んでいる時間もあなたにはありません。
死ぬ間際に心の底から一切後悔しなかったら、この人生はあなたの勝ちで、それはとてつもなくすごいことだと思います。