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僕が死んだ後に、嫁が、もしくは子供達がまだ小さいうちに死んだ場合、僕の人生についてある程度、詳しく知れるために、少し高校時代の話を掘り下げて記そうと思います。
高校2年生のとき、担任の馬場先生に「何のために人は生きているんですか」と職員室で質問したことがあります。馬場先生は、「その理由を探すために生きているんじゃない?」と笑いながら返事をしてくれました。
高校2年生のとき、家からはバスで近くの駅まで行き、そこから電車に乗って学校に1時間半近くかけて通っていました。でも、家を出るのは10時ごろで、バスで駅まで行くのですが、コンビニでお弁当を買って、駅近くの湖のある大きな公園のベンチでそれを食べて、ベンチに寝っ転がって1時間くらい寝るともうお昼すぎで、携帯電話には馬場先生から「今日はどうした?」とメールが来ていました。無視をしたいわけではないけど、どう返事をしていいかわからないので、結果返事をしないのがほとんどで、そのうち学校を無断で休んでいても、馬場先生からメールは来なくなりました。
多分高校2年生、高校3年生の時は毎日5回くらいは泣いていたと思います。教室、バスの中、保健室、どこでも涙が出ていました。
授業に出ても座っていられなくて、突然教室を出ていくような生徒でした。ほとんどの場合は保健室に行きましたが、たまに校舎の外に出たり、図書室に行くこともありました。
放課後何時間も保健室にいて夜6時とか7時まで保健室の椅子に座っていることが多かったです。
時々、昼休み保健室にサッカー部の友達が来て、校舎の端っこにある保健室の外の部室棟前で、5〜6人でサッカーボールでワンバンという遊びをしました。みんなおそらく僕のことを、明と暗の状態があると捉えていたような気がします。それについて何か話しかけてはいけないけど、明の状態の時は普通に接しても問題ないと考えているようでした。
それに救われる面も確かにありました。それによって色々なことから逃げ出さずに済んだのかもしれません。
ずっと何かを考え、何かと向き合って、何かを探していたんだと思います。チャンネルのアイコンになっている猫の絵は僕が高校3年の時に保健室で描いたものです。
高校3年生の時の担任は河野先生でした。30歳くらいの若い先生で、熱血でした。約束を守らず、胸ぐらを掴まれて校舎の外まで引っ張り出された記憶があります。放課後に校舎の周りを一緒に走った記憶もあります。ホームルームに出たのは手で数えられるくらいしかなかったと思います。カバンを校舎の3階から放り捨てて帰った次の日、僕の机の上にへし折れたカバンが置かれていたのを覚えています。
卒業式の日に、森山直太朗のさくらを歌ってくれたのを覚えています。僕以外クラスの全員泣いていました。
カルキュール数学という教材を手渡してくれたのも河野先生でした。
サッカー部の連中が、「河野先生が「なんで授業に出てない杉谷が一番数学の点数が高いんだ」ってテスト返却のときブチギレてたよ」って言ってたのを覚えています。僕はテスト返却の授業のとき教室にいなかったので。
当時は河野先生に「お前はもう現役では間に合わないから浪人して東大でも目指せ」と言われたのに腹が立って、見返すためにめちゃくちゃ勉強したのを覚えています。
河野先生から見て、僕はとんでもなくストレスフルな生徒だったと思います。
ただ、僕は、保健室の稲田先生、高2担任の馬場先生、高3担任の河野先生、先生方には感謝しています。
卒業後、河野先生を訪ねたとき、「お前がいた時の3年3組のようなクラスは学園ドラマみたいだった。今担任をしているクラスはみんな勉強のことしか頭にないから面白みがない。」と言っていました。
おそらく、ほとんどの人はこれを読んで、どんな高校生活だよ、と思ったかと思います。おそらく自分の子供達がもう少し大きくなってこれを読んだ時も。
でも、人生と向き合う上では大事な時間だったように思います。