カンボジア内戦
概要
1970年代から1980年代にかけてカンボジアで起こった内戦。 カンボジアでの政治的混乱と外国勢力の介入によって引き起こされた。
時代
1971年〜1993年
場所
詳細
1949年にフランスからの独立が認められたカンボジアでは、ベトナム戦争中に国王のシハヌークが社会主義政策を掲げました。
これに反対していた右派のロン=ノルがアメリカの支援を受けて国王を解任すると、国王は共産主義(左派)勢力であるカンボジア共産党(クメール・ルージュ、赤色クメール)と結んで勢力を拡大、首都プノンペンを占領してポル=ポトを首班とする民主カンプチア共和国を建国しました。
ポル=ポト政権は厳しい弾圧政策を取り、数百万人もの知識人が虐殺されました。
民主カンプチアは親中の共和政権であったため、ソ連と結んでいたベトナム社会主義共和国とは中ソ対立を機に関係が悪化します。
1979年にベトナムがカンボジア侵攻を敢行し、カンボジアを占領してポル=ポト政権を打倒、親ベトナムのヘン=サムリン政権を樹立し、カンボジア人民共和国となります。
これに対し、ポル=ポト派、シハヌーク派と穏健なソン=サン派が、ヘン=サムリン政権を打倒するという目的のもとで三派連合政権を樹立します。
当然ながら、三派連合政権内部にも方向性の対立は存在したため、戦況は混乱します。
1991年にカンボジア休戦協定が結ばれ、国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)が活動し、これには日本の自衛隊が初めて国連平和維持活動(PKO) の一環として派遣されました。
93年に立憲君主政に復帰して選挙が行われ、シハヌークを国王とするカンボジア王国となりました。
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