史上はじめて「皇帝」を名乗った秦の王。
中央集権的で強圧的な政治を行った。
まとめ→中国王朝
前247年〜前210年
前221年 統一

前221年に秦の王として戦国の七雄の他6国を平定し、史上はじめて「皇帝」を名乗った人物です。
郡県制を敷き、度量衡・貨幣(半両銭)・文字(小篆(しょうてん))の統一 をするなど中央集権化政策を進めます。
皇帝は神にも等しい絶対的存在とされ、儒学者や学者を弾圧し、農業・医者・占い以外の書物を焼く「焚書坑儒」を行います。
また、北方の匈奴対策のため国境に長城を築かせ、宮殿として阿房宮も築かせました。
これらの政策の多くはブレーンであった、法家の李斯によって考案されたものです。
しかし彼の統制は厳しく、死後数年で陳勝・呉広の農民反乱を機に秦は滅びてしまいました。
墓は生前に都咸陽のそばに作らせており、その近くには守る意味で兵馬庸が大量に作られています。
阿房宮があまりに広すぎたために「アホ」の語源になったという説もあります。
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