日本文学史マスターへの道⑧『小倉百人一首』
日本文学史マスターへの道
『小倉百人一首』
〔小倉色紙(蝉丸)〕
百人一首に関しては、紹介できないほど多くのサイトや書籍があります。
超訳百人一首うた恋い。は渡部泰明さんという国文学資料館の館長さんが監修しているので、一定の学問水準がありおすすめ!
学問的内容も含みつつ漫画で読めるというのは面白いしすごい!!
あとは本屋に行ってみよう!必ず数冊はあるはず。
《確認ポイント》
✔︎謎多き歌集
✔100の和歌が集まっている
✔︎歌がるた
《書名》
『百人一首』と言う書名は、
100人の歌人から1首ずつ、合計100の歌を集めたものという意味!
『小倉百人一首』というのは、小倉山の麓にある定家の山荘の襖の色紙に歌が書かれたことからつけられた。
『小倉山荘色紙和歌』とも呼ばれる。
《撰者》
藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)と言われるが、
真偽は不明。
〔『住吉の名月』(月岡芳年『月百姿』)住吉明神の神託を受ける定家〕
通説は、藤原定家の関与があり、後世の人物が補修したという説。
→謎多き歌集「その1」編者が不明
《成立過程》
文暦2(1235)年あたりに成立したと見られる。
藤原定家『明月記』によると、
藤原定家は、宇都宮頼綱(定家の子で為家の舅)に、
山荘の襖に貼る色紙和歌の選定を頼まれ、
藤原家隆や飛鳥井正恒らの和歌を書いて贈った。
とされているが、
藤原定家は、『小倉百人一首』とは別に『百人秀歌』というものを編んでおり、どちらを指しているのかが不明。
→謎多き歌集「その2」定家の日記内容でも判別不能
《百人秀歌》
百人一首とほぼ同じ内容(97首同じ)
→全て同じなら、定家が編者だった可能性は高かったのに、、、、
→謎多き歌集「その3」百人秀歌の存在について不明
《構成》
『百人一首』には、天智天皇から順徳院に至る100人の作品が載せられており、時代としては奈良・平安・鎌倉の3時代にわたる。
『古今和歌集』から『続後撰和歌集』までの勅撰和歌集から選ばれており、『万葉集』の歌も勅撰和歌集に載ったものの中から選ばれている。
◎歌の配列
基本的に、時代順で配列されている。
◎男女比
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男性79人(僧侶は13人)
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女性21人
→圧倒的に男性が多い
◎部立
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「春」(6)
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「夏」(4)
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「秋」(16)
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「冬」(6)
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「離別」(1)
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「羇旅」(4)
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「恋」(43)
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「雑」(20)
→圧倒的に恋の歌が多く、季節では秋の歌が多い。
◎歌風と修辞法
- 余情を重んじる定家の美意識が反映されていると考えられる。
(→詳しくは『新古今和歌集』を参考に。)
- 修辞法は、掛詞や援護が用いられており、艶麗優美な歌が多い。
《百人一首の歌》
リンクをクリックして、100首の歌を見てみよう。
おすすめの歌は何番かな?
《史的意義》
『百人一首』は、中世以降「和歌を学ぶための経典」となり、注釈書が多く作られた。
近代以降、「歌がるた」となり、大衆に広まり、書道の手本にも用いられた。
《歌がるた》
百人一首の下の句を取り札とする。
江戸時代以降に普及し、
「ちらし取り」「源平合戦」のような形で親しまれる。
〔カルタ取りで勝つには〕
①歌を全て覚える
②決まり字(ある歌を読み上げていく際に、その一次によって他の歌と区別される文字)を覚える
③下の句を聞いて、上の句が言えるようになる
→この3つマスターすれば、君もカルタ取りの名人だね。
現代でも、ちはやふるという漫画や映画などの題材としても使われており、和歌に親しむきっかけの一つである。
ちなみに、筆者おすすめは坊主めくりという遊び。ネットにやり方が載っていたので、クリックしてみて!
「蝉丸ルール」というルールの付属もでき、和歌を覚えていなくとも楽しめるよ。
〔蝉丸『月の四の緒』(月岡芳年『月百姿』)〕