日本文学史マスターへの道⑥『新古今和歌集』
日本文学史マスターへの道
『新古今和歌集』
(日本古典籍データセットより使用)
地図には載らない文学館ネットミュージアム兵庫文学館のサイトや 国文学研究資料館のコラムから入ってみるのもいいかも。
《確認ポイント》
✔︎8番目の勅撰和歌集
✔「幽玄」「艶」「有心」などの美的観念について
✔︎本歌取技法について
《書名》
『新古今和歌集』と言う書名は、『古今和歌集』を手本として、
古から今までに他の勅撰和歌集に入らなかった歌を新しく集めたという意味!
『新古今集』と言われることもある。
《撰者》
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源通具(みなもとのみちとも)
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藤原有家(ふじわらのありいえ)
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藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)
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藤原家隆(ふじわらのいえたか)
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藤原雅経(ふじわらのまさつね)また飛鳥井雅経(あすかいのまさつね)
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寂蓮(じゃくれん)
→完成前に死去
⇒編集の実質的中心人物は後鳥羽上皇(勅命者自身)
《成立過程》
建仁元(1201)年、後鳥羽院の院宣によって、
8番目の勅撰和歌集として一応完成を遂げ、
披露宴(竟宴)が行われた。
撰者が撰進した歌の取捨や部立・配列は、
後鳥羽院が直接指示を与えているため、
後鳥羽院の意思が強く反映された歌集となっている。
成立後も後鳥羽院による切継=修正や加除が行われており、
最終的な完成は承元4(1210)年以降と考えられている。
また、後鳥羽院は1212年承久の乱で敗れ、
隠岐に流されたのち、
『新古今和歌集』をさらに編集し直しており、
隠岐本『新古今和歌集』と言われることがある。
《構成》
『新古今和歌集』には**およそ2000首の歌が20巻 **に収められている。
序文は「仮名序」と「真名序」が、巻頭と巻末、もしくは巻頭に2つあるとされており、
これは伝本によって異なるが、『古今和歌集』に倣って「仮名序」と「真名序」を置いていることは確かである。
「仮名序」は、藤原良経(ふじわらのよしつね)、「真名序」は、藤原親経(ふじわらのちかつね)が執筆したもので、上皇の立場から『新古今和歌集』作成の意図を記したものである。
◎歌体
全て短歌である。
◎部立
部立(ぶたて)とは、ジャンル分け・部類分けのことで、『新古今和歌集』では、以下のように分けられている。
- 「春(上・下)」
- 「夏」
- 「秋(上・下)」
- 「冬」
- 「賀」
- 「哀傷」
- 「離別」
- 「羇旅」
- 「恋(一〜五)」
- 「雑(上・中・下)」
- 「神祇」
- 「釈教」(しゃくきょう)
◎歌の配列
『古今和歌集』と同様に、
季節の移ろいと心情の移り変わりの配列。
加えて、古歌と当代の歌をそれぞれ歌群にし、
交互に配置した。
→各巻及び歌集全体が高い芸術性を帯びている
《歌風》
〔史的ポイント!〕
奈良時代以降の400人近い歌人の作品が収録されている。
当時の歌壇は対立していた!
六条藤家(保守派:藤原清輔や藤原季経ら)
VS
御子左家(新傾向派:藤原俊成や藤原定家ら)
この対立が起こる中、後鳥羽院は両派を受け入れ、
「千五百番歌合」という歌合最大規模のものを開催し、
和歌所(勅撰和歌集撰集のための役所)を設置するなどして、
歌壇を引っ張っていった。
ただし!!
後鳥羽院は、御子左家の歌風を好み、自身もそれを学び、活動奨励をおこなった。
→『新古今和歌集』は後鳥羽院の意志が反映されているため、撰者や作者にも俊成や定家の影響を受けたものが多く、
俊成・定家の歌論に見られる理念中心となっている。
◎美的観念
『新古今和歌集』では、藤原俊成や藤原定家が詠った美の観念が注目される。
日常の場を離れ、歌合や歌会の中で決められた題のよって虚構世界を詠む
=題詠が盛んとなった。
→現実と離れた観念的で物語的な内容を歌うことが流行し、
美しさをひたすら追求するようになってしまう
→唯美的歌風(ただ美しさだけを追求する独特の歌風)
言葉による美の表現だけではなく、
注目すべきものは「幽玄」「艶」「有心」という
余情の美しさ、理念的な美である。
幽玄
漢語における本来的な意味は、
「奥深くてはっきりとわからないこと」である。
鴨長明は比喩を用いて説明しており、
幽玄と余情は近しい関係にあることが推測される。
藤原俊成は、歌合の判詞で幽玄を多用し、
「言葉で表現し難い微妙な美を指すことば」として余剰との関連を保ちつつ、
評される対象となる美が優艶な美であることから、
幽玄から神秘性が希薄していき、艶に近しい言葉となったと見られる。
その後、正徹や世阿弥も有限を使用するが、
原義を留めつつも優美や優艶を意味するに至っている。
艶
上品で優しく、美しいことを言う。
俊成の言葉からは、
恋愛に伴う優艶な雰囲気を基調父するように思われるが、
根幹としては優艶や妖艶に近しいものであろう。
定家が目指していった美の理念とも言われる。
有心
本来の意味は、「思慮のあること」
定家の書を見ると、有心は「個人のしみじみとした情感や政治社会への関心など幅広くを対象とする美意識」であると考えられる。
のちに連歌などでいう、
- 有心は正統的で優雅な和歌や連歌のことを指し、
- 無心は卑属な狂歌・狂句を指した。
◎修辞法などの技法
序詞や掛詞・縁語が多用され、
それに加えて、余韻を深める体言止めが多用される。
《歌のイメージを広げ、重奏性を持たせる技法の発達》
本歌取
先行するある歌を用いて、その情趣を取り入れる技法
『万葉集』や『古今和歌集』に対する尊重傾向が高まっていき、
古歌の優れた発想や表現を借りながら新たな歌を作り上げていった。
本説取
本歌取同様、先行する物語や漢詩文を踏まえる技法
→複雑で繊細な美が技巧を凝らし余情を含み、
象徴的で物語的、絵画的に表現されていく。
また、歌のリズムは七五調で、初句切れや三句切れの歌が多い。
《代表歌人》
〔新古今時代〕
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藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)
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源通具(みなもとのみちとも)
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藤原有家(ふじわらのありいえ)
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藤原家隆(ふじわらのいえたか)
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藤原雅経(ふじわらのまさつね)
また飛鳥井雅経(あすかいのまさつね)
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寂蓮(じゃくれん)
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西行(さいぎょう)
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慈円(じえん)
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藤原良経(ふじわらのよしつね)
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藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)
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式子内親王(しょくしないしんのう)
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後鳥羽院
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藤原俊成女(ふじわらのしゅんぜいのむすめ)
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宮内卿(くないきょう)
〔古歌時代〕
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柿本人麻呂
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紀貫之
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伊勢
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和泉式部(いずみしきぶ)
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曽禰好忠(そねのよしただ)
《史的意義》
『新古今和歌集』は、感覚的・浪漫的な美しさを重視しており、
その歌風は、連歌・能・茶の湯・生花などの中世文化に影響を与えた。
また、与謝野晶子・北原白秋・立原道造などの近代文学者にも好まれることとなった。
〔与謝野晶子〕
〔北原 白秋〕
〔23歳の立原道造〕