インド独立
概要
イギリスに支配されていたインドが独立するお話です。
パキスタンを統合するか分離するかで衝突が起きますが、分離独立することが定められ、ネルー首相の下で復興を遂げます。
時代
1947年 分離独立
場所
詳細
1935年のインド統治法で一部の独立が認められていたインドでしたが、戦後イギリスは放棄の姿勢を見せるようになります。
しかしこの頃、ムスリム主体のパキスタンと、ヒンドゥー教徒主体のインドの間に対立が起きていました。
そして独立の際はパキスタンを巡り、分離を求めたジンナーを指導者とする全インド=ムスリム連盟と、統一を主張したガンディーらが対立します。
1947年にインド連邦とパキスタンの分離独立が定められますが、両教徒の対立は収まらず、親ムスリムを主張するガンディーは急進的ヒンドゥー教徒に暗殺されます。
インド連邦では初代首相ネルーの下で憲法を発布し、共和国となり、冷戦の対立から一歩引いた第三世界の牽引者となります。
その後も国民会議派が政権を握ります。
パキスタンとの衝突は終わらず、カシミール地方を巡って印パ戦争を繰り広げるなどしました。
補足
ガンディーは国民会議派でしたが、分離独立になったのにどうして政権を国民会議派が握ったのでしょうか。
それは宗教が大きく関わります。
全インド=ムスリム連盟はその名の通り、イスラム教徒、ムスリムの集団です。
一方で国民会議派はインドの多数派、ヒンドゥー教徒の集団です。
どちらも独立のためイギリスと戦ったのですが、国民から支配されたのは国民会議派であったというわけです。
そのためというべきか、独立後、全インド=ムスリム連盟はパキスタンで政権を握っています。
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