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ガンディー


概要

インド独立運動を国民会議派の代表として率いていた人物。

暴力に訴えない非暴力・不服従を唱え「塩の行進」などの活動を行ったが、独立を達成したのは大戦後のことであった。

流れ→インド植民地化

時代

1869年〜1948年

詳細

第一次世界大戦中には自治が約束されていたインドでしたが、大戦後に制定された1919年インド統治法は自治とは程遠いものでした。

また令状なしの逮捕を可能にする強圧的なローラット法が定められ、アムリットサールの抗議集会では発砲するなどといったイギリスの態度に対し、インド国民の反発は増大していました。

こうした中で、新しい指導者としてガンディーは 非暴力・不服従を唱えた「非協力運動」 を展開します。

民衆の暴徒化などにより一時は運動を離れたガンディーでしたが、国民会議派ネルー に呼びもどされ、塩の行進などの運動を行います。

しかし、完全独立(プールナスワラージ)を求めていた国民会議派に対して、1935年新インド統治法では自治及び独立は否定されました。

大戦後のインド・パキスタンのヒンドゥー教、イスラム教の違いのための分離独立後、ガンディーは連携を求めていたために狂信的なヒンドゥー教徒に暗殺されました。

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塩の専売に抵抗するため、各地の海岸を練り歩き無許可で塩の製造にあたった。

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スワデーシ(国産品愛用)を体現しようとしていた。

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