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啓蒙専制君主

概要

啓蒙専制主義とは支配層主体で行われた「上からの近代化」をすすめる体制のことで、啓蒙専制主義を取る君主を啓蒙専制君主と呼びます。

代表的な啓蒙専制君主である、プロイセンとオーストリアの皇帝についてのお話です。

まとめ→近世ヨーロッパ、ドイツ

時代

18世紀

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詳細

ウェストファリア条約により神聖ローマ帝国から主権を手に入れた両国の発展の様子を見ていきます。

プロイセン

フリードリヒ=ヴィルヘルム1世は絶対王政の基礎を築きました。

フリードリヒ2世は啓蒙専制君主として官僚制と軍隊の強化などに努めます。

フリードリヒ2世はオーストリア継承戦争でシュレジエンを獲得し、七年戦争でもシュレジエンを確保しました。

またポーランド分割にも参加します。

一方内政では啓蒙思想に基づいた政策を実施しましたが、ユンカー(地主)の影響力が大きく、農民の地位は改善しませんでした。

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オーストリア

七年戦争の際、オーストラリアのマリア=テレジアはシュレジエン奪還を目指すため、それまで敵対関係にあったフランスと同盟を結びました。これを「外交革命」といいます。

マリア=テレジアの子のヨーゼフ2世は、啓蒙専制君主として宗教寛容令や農奴解放令などを行い上からの近代化に努めましたが、貴族などの反対を受けて多くは挫折しました。

ヨーゼフ2世はプロイセンのフリードリヒ2世に誘われ、ポーランド分割に参加します。

神聖ローマ皇帝位も兼ねていたオーストリア皇帝ですが、三帝海戦を迎え、帝国は崩壊していくこととなります。

補足

啓蒙主義とは、コトバンクによれば「民衆の蒙昧(もうまい)さを理性によって啓(ひら)くという意味」です。 つまり、民衆を教え導く、といったところでしょうか。 具体的には農奴の解放、学術の保護などが求められます。

このような動きを「近代化」と言いますが、フランスなどの国では民衆の中からの自然な動きで(言うなれば「下からの」動きで)近代化が進んでいました。

しかし、上に挙げたような国は(主権獲得のため戦っており)遅れをとっており、一気に追いつくためには強制力を必要としていました。

そのため、皇帝が自らの権力を行使し強制力を持って、「上からの」近代化を進めたのです。

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