列強の二極分化
概要
ビスマルク体制崩壊後のヨーロッパ諸国の動向についてです。
英・仏・露の三国協商と、独・伊・墺の三国同盟への二極化がすすみました。
時代
1890年〜1910年ごろ
場所
詳細
ビスマルク体制によって一時の安定を見せたヨーロッパ情勢でしたが、彼の辞任により再び揺れます。
彼の後に実権を握ったヴィルヘルム2世はロシアとの再保障条約更新を見送ります。
これによりロシアとフランスが接近し露仏同盟を結び、フランスは外交的孤立を脱しました。
各国の帝国主義政策の衝突も見られるようになります。
ドイツはバグダード鉄道建設を推進し、ベルリン・ビザンティウム・バグダードを結ぶ3B政策を取り、イギリスの3C政策に対抗しました。
イギリスは「光栄ある孤立」の姿勢を保ってきましたが、1902年の日英同盟を皮切りに、英仏協商、英露協商を結びます。
ロシアはイギリスとは東アジアを巡って対立関係にありましたが、1904年の日露戦争に敗北してからは東アジアから撤退したことで接近していました。
このようにして完成した英・仏・露の三国協商と、ビスマルク体制下で結ばれていた独・伊・墺の三国同盟が対立して、軍備拡大を競い合い、第一次世界大戦へと繋がってゆきます。
しかし三国同盟内部では、未回収のイタリアを巡りオーストリアとイタリアが対立していたため不安定なものとなっていました。
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