国際秩序の形成
概要
第一次世界大戦後に形成された国際秩序である、ヴェルサイユ体制とワシントン体制についてです。
これらの条約で形成された秩序は、不況や世界恐慌によって崩壊します。
まとめ→大戦
時代
1919年 ヴェルサイユ条約
1922年 ワシントン条約
場所
詳細
ヴェルサイユ体制
第一次世界大戦の戦後処理のために開かれたパリ講和会議では、アメリカ合衆国のウィルソン大統領が十四か条を発表し、ロシア革命の社会主義に対抗しようとしました。
1919年に結ばれたヴェルサイユ条約で、ドイツは全ての植民地を失い、アルザス・ロレーヌをフランスに返還し、ラインラントの非武装化や多額の賠償金を課せられました。
また旧オスマン帝国の地域では、シリアはフランスの、イラク・トランスヨルダン・パレスチナはイギリスの委任統治のもとにおかれました。
そしてウィルソン大統領の提唱した国際連盟が、ジュネーブを本部として設置されました。
しかしドイツなどの敗戦国や、ソヴィエト=ロシア、議会の反対を受けたアメリカ合衆国などは国際連盟に参加しませんでした。
これらのヨーロッパでの国際秩序をヴェルサイユ体制といいます。
ワシントン体制
ワシントン会議では、アメリカ合衆国・イギリス・日本・フランス・イタリア間での主力艦の保有率などを定めた海軍軍備制限条約が結ばれました。
また中国の主権尊重・領土保全を定めた九カ国条約や、太平洋諸島の現状維持を定めた四カ国条約が結ばれました。
これらのアジア・太平洋地域における国際秩序をワシントン体制といいます。
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