洋務運動
解説
アロー戦争後の、同治の中興と呼ばれる内外の情勢が一時的に安定した状況以後に進められた、西洋の技術導入によって富国強兵を図る運動。
曽国藩や李鴻章、左宗棠らを中心に進められ、軍備面には特に力が入れられた。
しかし、「中体西用」(体制は伝統的なもののままで、技術だけ近代化しようとする)の形が取られた改革はうまくいかず、日清戦争の敗北でその失敗は浮き彫りとなった。
流れ→清
まとめ→中国王朝
洋務運動の一環で作られた、近代的兵器の製造所。
洋務運動が進められなくなってからもこれらの機関は機能し続けた。
これは1911年の様子。
時代
1861年〜1894年
補足
「中体西用」は漢字ミスが多発する用語です。
(そのために、かどうかは分かりませんが出題頻度も高いです)
中国の「本体」、西洋の「作用」という意味らしいですが、筆者は中国の「体制」と西洋の「用具」と間違って覚えてしまっていました、、、
中身自体は変えない、上辺だけの改革であった、ということが覚えられればOKです!
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