中世ヨーロッパ社会の基盤となった、封建制についてのお話です。
農民にとっては厳しい制度でありつつも強固な結びつきで諸国は発展を遂げますが、次第に衰退してゆきます。
まとめ→中世ヨーロッパ
10世紀後半〜15世紀
安全を欲する有力者と土地の保護を求める農民が互いに結びつき、主君が封土を与える代わりに、家臣が忠誠を誓い軍事奉仕をする関係、封建的主従関係が成立します。
ローマの恩貸地制度とゲルマンの従士制に起源のある制度で、双方に契約を守る義務、双務的契約であることが特徴でした。
10~11世紀に成立してからフランスを中心に普及し、西ヨーロッパ中世世界の基本的骨組みとなりました。
有力者は土地を荘園として所有し、国王の役人による立ち入りや課税を拒む権利、不輸不入権(インムニテート)をもちながら領主として農民を農奴として自由に支配します。
農奴は荘園から出る権利を持たず、領主から賦役と貢納を課されたほか、教会からも十分の一税を課されていました。
この封建制は安定して長く続き、三圃制の普及などでさらに発展します。

14世紀に入ると、商業が発展し貨幣経済が浸透し、農奴は生産物を売ることで富を築くようになります。
また黒死病(ペスト)の流行などで人口が減少し、農民の待遇改善が求められたことで、封建制は崩れ農奴は社会的地位を向上させました。
特にイギリスではこの動きが盛んで、農奴は独立自営農民(ヨーマン)となりました。
14世紀後半は農奴制の廃止などを求める動きも多くみられ、フランスのジャックリーの乱やイギリスのワットタイラーの乱などが代表的です。
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