パレスチナ問題
概要
ユダヤ人国家イスラエルと、アラブ人国家パレスチナの間で、パレスチナ地域の統治を巡り長年続いている地域紛争。
第一次世界大戦時のイギリスの三枚舌外交に由来し、複数回にわたる中東戦争が戦われた。
イスラエルは欧米、パレスチナはエジプトの支援を受けて戦っていたが、エジプトが和平路線に転換するとパレスチナの戦力の中心はPLOになった。
93年のパレスチナ暫定自治協定により一応の終結を見せたが、未だ解決には至っていない。
時代
20世紀初頭〜
1973年 第4次中東戦争
場所
詳細
問題の起源
オスマン帝国に支配されていたパレスチナにはアラブ人が住んでいましたが、19世紀末からユダヤ人が聖地パレスチナへの帰還を求めるシオニズム運動が始まり、対立が起こるようになります。
第一次世界大戦中にイギリスの結んだ、ユダヤ人にパレスチナでの建国を認めるバルフォア宣言、アラブ人がパレスチナで独立することを認めるフセイン=マクマホン協定、フランスと分割を約束したサイクス=ピコ協定の、三枚舌外交と呼ばれる矛盾した条約により権益は混乱し、イギリスがパレスチナの委任統治をすることになります。
委任統治の期限が終了すると、イギリスのアトリー内閣は国連に問題を預け、ユダヤ人国家イスラエルとアラブ人国家パレスチナの2国家の創設が提案されます。
中東戦争
アラブの統一行動を目指してエジプトを中心に結成されたアラブ連盟が2国家構想に反対し、第1次中東戦争 が勃発します。
戦争にはイスラエルが勝利し、パレスチナも占領、その地域のアラブ人はパレスチナ難民となりました。
その中で、アラブ人による国土の奪還を目指すパレスチナ解放機構(PLO) がエジプトのナセル大統領らにより支援されて64年に結成されますが、これに対しイスラエルが攻撃、再び戦争が勃発し(第3次中東戦争)、シナイ半島、ヨルダン西岸、ガザ地区などを占領して一方的な勝利を収めました。
73年、エジプトの大統領がサダトに変わると、彼はイスラエルへの奇襲攻撃を行い(第4次中東戦争)、反撃に対しても石油戦略の展開により有利な休戦に持ち込みます。
石油戦略は、サウジアラビアなどアラブ石油輸出国機構(OAPEC) により取られた戦略で、イスラエルを支援する諸国に対する原油輸出の停止や制限の措置のことです。
同時に原油の大幅値上げを石油輸出国機構(OPEC)が決定 したため、安価な石油を前提とした先進工業国は深刻な打撃を受けました。(第1次石油危機(オイルショック))
和平
77年にエジプトのサダト大統領が方針の展開を決定し、アメリカのカーターの仲介により、イスラエル・ベギン首相とのエジプト=イスラエル和平条約を79年に締結します。
しかし、PLOはアラファト議長を中心としてこれに反発、レバノンを拠点にテロ行動を行うようになり、イスラエルはレバノン侵攻で応えました。
PLOの劣勢の中、87年のイスラエルに占領されていたガザ地区の民衆の蜂起(インティファーダ)によって状況は転換し膠着、中東和平が望まれるようになります。
1993年、イスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長は解決を目指しクリントンを仲介として話し合いを進め、 パレスチナの暫定自治が認められるオスロ合意に基づいたパレスチナ暫定自治協定が結ばれます。
これによりヨルダン西岸、ガザ地区のアラブ人自治(パレスチナ)、それ以外のパレスチナ地域のイスラエル支配に安定し、和平の機運が高まりました。
しかしラビン首相が急進派に暗殺されたことで、武力対決路線に立ち戻ってしまい、依然解決を見ないまま問題は残り続けています。
補足1: 「パレスチナ」
文脈により二つの意味を持つので注意しましょう。
国家「パレスチナ」: アラブ人の統治する国家のこと。
地域「パレスチナ」: 問題になっている地域全体のこと。イスラエルにより統治される地域も含む。
補足2: 各国首脳
- イスラエル
- ベギン(1977〜1983): エジプト=イスラエル和平条約
- ラビン(1992〜1995): パレスチナ暫定自治協定
- エジプト
- ナセル(1956〜1970): 第二次, 第三次中東戦争
- サダト(1970〜1981): 第四次中東戦争, エジプト=イスラエル和平条約
- PLO
- アラファト(1969〜2004): 全部
- アメリカ
- カーター(1977〜1981): エジプト=イスラエル和平条約
- クリントン(1993〜2001): パレスチナ暫定自治協定