戦後イギリス
概要
戦後のイギリスは財政難に苦しんでいました。
労働党は国有化、社会保障の充実などの政策を通じ国民の生活を向上しようとしたが軍事費がかさみうまくいかず、保守党の「小さな政府」政策も失業の拡大をもたらします。
まとめ→イギリス
時代
1945年〜
場所
詳細
アトリー
第二次世界大戦の終戦直前、アトリー率いる労働党が、チャーチルの保守党を破り内閣が交代します。
原因は国民が戦争に疲弊していたことにあり、重要産業の国有化や「ゆりかごから墓場まで」という社会保障制度の充実に取り組みました。
また、冷戦に際しては財政上の理由によりギリシャやトルコの支援から手を引き、西側陣営の指導はアメリカに引き渡すこととなりました。
49年のアイルランドの独立や、NATOの創設により出費がかさんだことで支持を失い、51年からは保守党政権が続きます。
保守党内閣(福祉路線)
51年から保守党の第2次チャーチル内閣が発足しますが、政策は労働党の福祉国家路線を引き継ぎます。
ただ52年には米ソに続く3番目の核保有国になるなど、軍事費の出費はかさんでいました。
ヨーロッパ統合の動きには批判的で、EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)、EEC(ヨーロッパ経済共同体)、ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)のいずれにも参加しませんでした。
ウィルソン内閣がポンド切り下げに踏み切るなどイギリス経済の停滞が続く中、ドル=ショックに端を発する経済の混乱でそれらが統合したEC(ヨーロッパ共同体)が73年に拡大、イギリスも加盟し、その後93年にEU(ヨーロッパ連合)に発足した際にも加盟国となりました。
保守党内閣(新自由主義路線)
79年にサッチャーが首相となると、これまでの福祉国家政策から方針を転換し、「小さな政府」を目指す新自由主義政策を行います。
民営化や福祉事業の削減を次々に進め、その姿勢の強硬さから「鉄の女」と呼ばれるほどでした。
アルゼンチンとのフォークランド戦争での勝利もあり人気を保っていたサッチャーでしたが、財政は想定より向上せず、また外交面でも強硬な姿勢を保っていたため次第に孤立、首相はメージャーに取って代わられます。
メージャーも「小さな政府」化政策を続け、一定の経済効果は見られましたが、失業者の増加などで97年の総選挙で労働党に敗北しました。
労働党内閣
97年に労働党のブレア政権が成立すると、「第三の道」が目指されますが、アフガニスタン紛争とイラク戦争に対する批判もあり退陣、ブラウンが後を継ぎます。
ブラウン政権では金融危機が深刻化したため支持が低下、2010年の選挙で大敗して保守党のキャメロンが首相に就任、現在まで保守党政権が続いています。
補足
1945年〜2016年の首相の移り変わりは以下のとおりです。
保・チャーチル(40-45)
労・アトリー(45-51)
保・チャーチル(51-55)
保・(イーデン)
保・マクミラン(57-63)
保・(ヒューム)
労・ウィルソン(64-70)
保・(ヒース)
労・ウィルソン(74-76)
労・(キャラハン)
保・サッチャー(79-90)
保・メージャー(90-97)
労・ブレア(97-2007)
労・ブラウン(07-10)
保・キャメロン(10-16)