近現代朝鮮
概要
近世から現代にかけての朝鮮についてのお話です。
明への朝貢国でありましたが、清、日本の干渉を受け、日本の支配を受けるようになります。
まとめ→朝鮮
時代
16世紀〜1950年
1910年 日韓併合
詳細
背景
16世紀以降の朝鮮(李氏朝鮮)では、科挙制度の下で両班と言われる有力な家柄が官僚の大部分を占めるようになります。
日本の侵攻にも李舜臣率いる水軍などで抵抗し、追い返すことに成功します。
しかし、甚大な被害を受けた朝鮮は、救援軍を送ってくれた明に恩義を感じていたことから、民族の違う清朝に変わってからは対抗意識ももつようになります。
日清間の対立
19世紀には、列強が開国を迫るようになりました。
日本は1875年に江華島事件を起こし、不平等条約である日朝修好条規を結ばせられます。
内部では、日本に接近し改革を進めようとする金玉均ら、清との関係を保ちながら改革を進めようとする閔氏、攘夷派(異国排除派)である皇帝高宗の摂政の大院君らの3派が対立していました。
その対立に乗じて日本、及び清の干渉は強まり、94年の甲午農民戦争を機に、朝鮮への影響力強化を巡って日清戦争へと発展します。
日韓併合
日本が勝利すると、朝鮮は大韓帝国と名称を変えて独立が保障されます。
しかし、日本の干渉は強く、3次に渡る日韓協約を結ばされます。
義兵運動などの抗日の動きはあったものの、1910年、ついに日本により韓国併合がなされます。
日本はソウルに朝鮮総督府を設置し、管理しました。
世界大戦時
1919年にはロシア革命による民族運動の高まりから、三・一独立運動が発生します。
鎮圧されますが、日本は統治方針を武断政治から文化政治へと転換しました。
大戦が終わり日本が敗北すると分割統治が始まり、冷戦下で朝鮮戦争の勃発へと繋がります。
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