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この問題についてですが、実際には理系で(1)と(3)(3の倍数と6の倍数)が出題され、文系で(1)と(2)(3の倍数と4の倍数)が出題されました。
また、2023年京都大で類題が出題されており、n数の積が5の倍数となる確率と15の倍数となる確率が問われました。
これを書いている次の日、確率8番の撮影をする予定にはなっていますが、正直撮影できるか分かりません。明日の自分が無事に今の自分の思う通りに動いてくれるか、どこか途中で逃げ出さないか、頭が痛いから、雨が降っていて気分が乗らないから、昔の授業をチェックするために再生ボタンを押さなきゃいけないのを後回し、後回しにして気付けば、「今日じゃなくていいか」となったり。
今回の文章は無理にポジティブな面を用意することなく、本音で記します。正直日々苦しい。ひたすら苦しいです。少なくとも嫁には毎日、苦しいと伝えているので、何か診断を受けた方がいいとかそういう心配はされなくて構いません。ただ、毎日しんどすぎます。まず、子育てがとんでもなく苦しいです。これ本当に子供を育てている人間以外は理解できないかと思います。子育てがしんどくなかったという男は、ほとんど子育てを女性側か外部に任せてきた人間であって、子供と接する時間をまともに取れば、正直日々地獄です。遠くから見れば、振り返って見れば確かに幸せです。ですが、目の前の今日一日、子供を楽しませることは親にとっては地獄です。本当に自分の時間がないです。子供が大きくなって丸一日、目を離していてもいい状況になるまで一日も休みなく育児が続いていくのかと思うと、本当にきついです。
子育てがなくとも、正直人生苦しいです。撮影しても次の撮影がチラつき、今回のが終わればひと段落、しばらく休もう、と自分に言い聞かせても、いざ撮影が終わり、撮影していない日が続くと、焦りが出てくる。人生が停滞しているような焦りです。かといって1題撮影したところで、何かが前に進んだような感覚もない。でも1年を振り返ってみるとベクトル24題が撮り終わっているのでとんでもなく遠くへ来たことを実感します。
いや、ここで言いたいのは育児がしんどいことでも、撮影がしんどいことでもなく、人生、生きていることがとてつもなく苦しいということを確信した、ということです。この苦しい状態がただひたすら続くのが人生だということです。育児が終わっても、撮影が終わっても、やりたいことが見つかっても、やりたいことがなくなっても、幸福感はほんの一瞬で、また苦しい状態が次の瞬間から始まる、それが人生です。
追記
次の日の深夜、確率8番の撮影を終えた後に書いています。20分くらいの授業を4時間くらいかけて撮りました。まずピンボケで(1)を4回くらい撮り直しました。また、(4)を噛まずに説明をし続けるのがあまりにも難しく、多少妥協しましたがそこに2時間はかけました。暑すぎて汗ダラダラです。今は、(4)の説明が足りなかったんじゃないか、(3k+1)のところが理解できるだろうか、と終わった授業をひたすら振り返って不備がないか不安で仕方ない状況です。そして次の確率9番の一橋の問題がチラつき、暑くなる前に撮影しなきゃという意識も少し。ただ、上の文章を書いていた昨日とは全く異なり、幸福感で脳内が満たされています。刻一刻と過ぎる自分の人生の時間を無駄なく1日過ごした、という感覚で溢れています。そういう瞬間を少しでも多く作るために、またラットレースのような延々と続く、焦り、覚悟、実行、幸福、また焦りのサイクルを繰り返していくべきなのだと諦めのような悟りのような感情もあります。
人生の充実度は自分を奮い立たせた回数に比例するみたいです。