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日本の偉人を紹介!安倍晋三編


その他
2025年4月13日

皆さん、こんにちは。

今回も前回に引き続き、日本の歴史において多大なる貢献を果たした日本の偉人について紹介していきます。

3回目となる今回は、歴代最多の総理在任期間を持ち日本の独立を平和を護る為に奔走した安倍晋三(敬称略)について紹介します。(前回の記事はこちら)

日本の偉人の功績や意外な一面もあり勉強になる内容となっているのでぜひ最後まで読んでみてください。

安倍晋三の生涯

まず初めに安倍晋三の生い立ちについて簡単に紹介します。安倍晋三は1954年9月21日、山口県にて生まれました。

祖父は元総理大臣の岸信介、父は元外務大臣の安倍晋太郎という、政治家一族の中で育ちました。

大学は東京都の成蹊大学に進学し、その後アメリカのカリフォルニア大学へ留学しますが中退。帰国後は神戸製鋼所に就職をしました。

その後、1993年に父の地盤を継いで衆議院議員に初当選し、政治家としての道を歩み始めました。

政治家としての活躍

内閣官房副長官としての活躍と拉致問題への対応

安倍晋三が総理に就任する前の最大の活躍は北朝鮮に拉致を認めさせ、7名の拉致被害者を帰国させたことではないでしょうか?

安倍晋三は第二次森内閣にて初当選から僅か7年にも関わらず内閣官房副長官(以下:官房副長官とする)に抜擢され、後の第一次小泉内閣でも官房副長官に就任しました。

そして2002年には小泉総理(当時)とともに安倍官房副長官(当時)としてに北朝鮮を訪問し、金正日総書記(当時)との会談に挑むことになりました。

北朝鮮に向かう飛行機内で小泉総理と安倍官房副長官はとある約束をしていました。

その約束は「北朝鮮の盗聴に備えて大切な話は筆談ですること」でした。

そうして挑んだ午前の会談の直前、日本政府にとって最悪の知らせが入りました。

なんと北朝鮮から「拉致被害者全員の全員死亡」を一方的に通告されたのです。

その直後に行われた午前の会談の際、金正日総書記は拉致問題に対し謝ることも無く、不気味な笑みを浮かべていたとされています。

その後、予定されていた北朝鮮側との昼食を断り小泉総理と官房副長官は控室に戻りました。

そこで安倍官房副長官は小泉総理との約束を破り、「拉致を認めなければ即刻帰国、自衛隊派遣も検討すべき」だと進言しました。

これは盗聴をされていることを逆手に取り、北朝鮮へ揺さぶりをかける咄嗟の機転でした。

結果この行動が功を奏し、午後の会談で金正日総書記は初めて拉致を認め謝罪をしました。

この会談は、北朝鮮が国家として他国民の拉致という国際犯罪を初めて認めた瞬間でした。

更なる拉致被害者の救出への機転

午後の会談で拉致を認めた北朝鮮ですが、拉致被害者の5人の生存者に関して北朝鮮側は「必ずしも日本に帰りたいと思っているわけではない」と伝えたそうです。

その後、同年10月初めにケリー米国務次官補(当時)が北朝鮮を訪問し、直後に来日しました。

その際にケリー米国務次官補は「北朝鮮が核開発を進めている明確な証拠を得た」と日本政府に内々に報告したとされています。

その報告を聞いた安倍官房副長官をはじめとする政府関係者は「拉致被害者5人には直ちに日本に戻ってもらわないといけない。米朝関係が厳しい状況になると、5人の帰国も難しくなる」と判断したとそうです。

その結果、「5人に帰国するよう働きかけを強めた」ことが同年10月15日の拉致被害者5名の帰国実現につながったと、のちに安倍晋三は振り返ったとされています。

またこの5名の帰国でも安倍晋三の咄嗟の機転が功を奏しました。当初の計画では5人の拉致被害者は、2週間程度日本に滞在した後、北朝鮮に戻る一時帰国の予定となっており、小泉総理も北朝鮮側と合意していました。

しかし安倍官房副長官は違いました。

彼は「日本の主権のもとに入った瞬間から、彼らは自由な個人であり、再び北朝鮮に戻すことはあり得ない」と小泉総理に進言し、北朝鮮へ再度帰すことに強く反発しました。

最終的には拉致被害者の家族の意向などもあり、小泉総理も安倍官房副長官の主張を受け入れ北朝鮮へ帰さないことを決断したそうです。

その後、新潟空港に到着した5名の拉致被害者に安倍官房副長官は、空港内にて拉致被害者の意向を確認した後「皆さんは自由な身です。もう北朝鮮に戻る必要はありません。これが政府の方針です。」と伝えたとされています。

このように安倍晋三の咄嗟の機転や行動がなければ5名の拉致被害者の帰国は叶わなかったかもしれません。

このエピソードは北朝鮮による拉致被害者の救出、そして安倍晋三が持つ凄腕外交を象徴するエピソードとして今なお語り継がれています。※ここで紹介した一部のエピソードは諸説があります。

(北朝鮮)


史上最年少で就任した第1次安倍内閣

その後安倍晋三は官房長官などを歴任した2006年、史上最年少の52歳で内閣総理大臣に就任しました。

しかし、元々持っていた難病である潰瘍性大腸炎による体調不良でわずか1年弱で辞任し第1次安倍内閣は幕を閉じました。

第2次安倍内閣とアベノミクス

第1次安倍内閣から約5年が経った2012年、安倍晋三総裁が率いる自民党が衆議院議員総選挙にて勝利を収め、政権を奪還し、安倍晋三は内閣総理大臣に返り咲きました。

この総理への復帰劇は「奇跡のカムバック」とも呼ばれ、その後、2020年に潰瘍性大腸炎の影響等で総理を辞任するまで実に8年弱の間、総理として日本を牽引し歴代最多の「通算在職日数3188日」を記録しました。

また大胆な金融緩和・財政出動・成長戦略を目指した「アベノミクス」を掲げました。

その結果、就任時の日経平均株価は約8000円台だったのに対し、総理退任時には約2万3000円台まで株価を上昇させました。

安倍総理の総理在任期間に上昇した日経平均株価は約2.3倍になり、これは歴代で3番目の上昇率になりました。また失業率もバブル期並みの水準にまで劇的に改善しました。

そしてアベノミクスが呼んだ円安効果で日本経済を支える輸出産業が好調となり、日本経済を回復させていきました。

愛妻家としての一面

政策や外交、安全保障といった分野で多くの実績を残した安倍晋三ですが、意外な一面として「非常に愛妻家であったこと」も広く知られています。

2人はおしどり夫婦として知られており、考え方の違いがあった場合でも、昭恵さんの主張を否定せず、彼女の自由な行動を認める姿勢を貫いていました。

この寛容さは、時に昭恵さんがスキャンダルに巻き込まれかけた際にも発揮され、安倍晋三はそれでも妻を信じ、自由に行動させることを優先したとされています。

こうした姿勢には、安倍晋三の深い愛情と器の大きさが感じられます。

また、ユニークなエピソードとして「中国のハニートラップ」をめぐる話も知られています。

安倍晋三が中国を訪問した際、ハニートラップ目的で中国政府からアテンドされたと思われる女性が接待に現れたものの、すべて断ったため「もしかして彼は同性愛者ではないか?」という噂が流れたというものです。

その結果、後には男性が接待に現れるようになったという笑い話もありました。

安倍晋三自身はこれを「中国の諜報活動能力は大したことがないのかもしれない(笑)」と笑い話にしていますが、このエピソードからも彼の脇の甘さがなく、常に冷静で信念を持った行動をしていたことがうかがえます。

愛妻家としての姿勢と、私生活における誠実さがあったからこそ、日本を護る政治に力を入れ続けれたのかもしれませんね。

評価が分かれる安倍晋三

ここまで安倍晋三について紹介してきましたが当然、安倍晋三に対する評価は分かれています。

また森友・加計問題をはじめとした疑惑、祖父の代から続いていたとされる旧統一教会との関係などが批判されることも珍しくありません。

特に旧統一教会に関しては安倍晋三自身は信者ではなかったものの、祖父の代からの関係やイベントへの参加が批判の的になりました。

ただ忘れてはならないのは賛否が分かれない政治家は居ないことです。

突然の死と残された課題

総理退任後も体調と相談をしながらではありますが、精力的に政治活動をしていた安倍晋三。

しかし参議院議員選挙の応援演説を行なっていた2022年7月8日、奈良県の近鉄大和西大寺駅前にて、テロリストの山上徹也容疑者により安倍晋三は暗殺されました。

撃たれた後も近隣のクリニックの医療従事者、搬送先の奈良県立医科大学附属病院の医療従事者による懸命な蘇生措置が行われました。

しかし事件から約5時間半後の午後5時3分、日本そして世界を牽引した安倍晋三はテロリストによる攻撃で命を落としました。

テロリストの山上徹也容疑者は動機として「安倍晋三と旧統一教会との関係」も挙げております。

この事件をきっかけに宗教と政治、そして要人警備体制の在り方など、日本社会に多くの課題を突きつける事件となりました。

(安倍晋三が暗殺された現場)

(近鉄大和西大寺駅前にて著者が撮影)


まとめ

このように、安倍晋三は総理大臣になる前そして就任後も様々な国と凄腕外交を行い日本そして世界を牽引してきました。

第2次安倍内閣では難病により無念の退任となりましたが、第2次安倍内閣では数々の困難に立ち向かい、アベノミクスによる経済の立て直し、日本企業の活性化、失業率の低下、雇用の増加など多くの実績を残しました。

さらに、日本の主権と安全を守るために外交に尽力し、憲法改正や集団的自衛権の行使など、安全保障政策にも取り組んできました。

2020年に体調不良で辞任した後も、政治の第1線で日本のために活動を続けていましたが、2022年に奈良県の近鉄大和西大寺駅前でテロリストの山上徹也容疑者により暗殺されるという、あまりにも悲しい結末を迎えました。

しかし、彼が目指した未来、そして残した数々の功績は今なお日本にとって必要不可欠なものであり、これからも多くの人々に記憶され、尊敬され続けることでしょう。

これまで毎週日曜日にお伝えしてきた

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事の著者

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くま吉

トヨタ自動車→N高→近畿大学 クルマが大好きです!自動車や政治のことなどわかりやすく描いていきます!