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ユーゴスラビア連邦


概要

第二次世界大戦後、バルカン半島に成立した社会主義国家。

ティトーが指導にあたり第三世界のリーダー的存在となったが、彼の死後は内部での民族対立が浮き彫りになり、独立運動及び紛争が起こるようになった。

流れ→現代東欧

時代

1945年〜2006年

場所

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詳細

1918年、第一次世界大戦末期に民族自決の原則が認められて、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国が誕生します。

29年にユーゴスラビア王国となりますが、ドイツ軍のバルカン侵攻により消滅しました。

第二次世界大戦後、ドイツ軍と戦った英雄であるティトー(チトー)の指導で、ユーゴスラビア王国を基礎とした、セルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアの6つの社会主義共和国が ユーゴスラビア社会主義共和国連邦(ユーゴスラビア連邦) が成立します。

社会主義国でありながらも、独自のモデルを採用していたためソ連とは対立し、48年にはコミンフォルムから除名され、61年にはベオグラードで行われた非同盟同盟諸国首脳会議を主催、第三世界のリーダーとなります。

しかし、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と言われるほどの複合国家であり、国家としての結束はティトーのカリスマ性に依存していたことから、80年のティトーの死後には民族間の緊張が高まり、自由化・民族化の動きが活発化、独立の動きが進みます。

これにより、バルカン半島で激しい民族対立や紛争が勃発し、特にスロヴェニア・クロアチアの独立宣言に対するセルビアの反対によりユーゴスラビア内戦が発生し、92年にセルビアはモンテネグロと新ユーゴスラビア連邦を発足させます。

2006年にモンテネグロが独立を宣言し、続いてセルビアも独立国家としての地位を確立したことで、ユーゴスラビア連邦は完全に消滅しました。

ただコソヴォ問題(注1)に見られるように、独立や領土をめぐる争いは残されています。

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補足

セルブ=クロアート=スロヴェーン王国はセルビア、クロアチア、スロヴェニアの三国が対応します。

(1) コソヴォ問題

セルビアの自治区であったコソヴォ地区は独立運動を80年代から行っていましたが、セルビアはこれを認めていませんでした。

90年代後半から本格的に紛争が始まり、NATO軍の空爆などが行われました。

2008年には独立を宣言しますが、それを認めていない国も少なくありません。

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