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減反政策


簡単なまとめ

減反政策は、1970年~2018年に行われた、米の生産調整策

政策が導入された原因は

  • 食生活の洋風化・多様化に伴う米消費量の減少
  • 食糧管理制度による生産過剰政府負担の増加

で、政策の内容は

  • 米の作付面積の制限(転作の奨励)
  • 自主流通米制度の導入
  • 政府買入限度の設定

です。

2018年、安倍政権が自由競争の促進日本の農業の国際競争力の強化をねらって減反政策を終了させました。

減反政策

「反」を「減」らす、つまり「米の作付面積を減らす」政策です。

米の需要減少に伴い、余剰気味となっていた米の供給を調整する目的で導入されました。

1970年に本格的に開始し、2018年に廃止されました。

歴史

終戦直後

戦後、軍人や満州など海外入植者からの復員による人口増加と国内の農業生産力の低下によって深刻な食糧難に陥った日本は、食糧の増産と安定確保が喫緊の課題となっていました。

そこで政府は、

  • 八郎潟干拓などを通じた農地拡大による食糧増産
  • 食糧管理法」による食糧の安定的な供給

等の政策を行いました。

政府は食糧管理法に基づき、農家から米を全て買い上げ、政府から国民に向けて米を販売するという仕組みをとっていました。 これには、米を高値で買い取ることで農家の生活を安定させ、食料生産の基盤を強化する狙いがありました。

高度成長期〜

戦後の混乱期が終わり、高度成長期を経て日本が急速な経済成長を遂げると、所得の増加に伴い食生活の洋風化が起こります。

  • 肉、乳製品、脂質等、米に代わる栄養源の消費量が増加
  • パン食、麺類の普及

によって、米の消費量は徐々に減少していきました。

この頃から、食糧管理法の負の側面が顕在化してきます。

食糧管理法下では、政府が米を買い上げ、国民に販売していました。つまり、日本中の全ての米は、一旦政府の倉庫に入ってから国民に行きわたるわけです。

政府の目線で見れば、生産量=仕入れ量、消費量=出荷量ということになるわけです。

では、国全体で生産量が消費量を上回ったらどうなるでしょうか?

そう、在庫が溜まります。

溜まった在庫は政府が管理しなければなりません。当然在庫管理はタダではありません。倉庫の賃料や電気代、保守費、警備費、諸々かかります。

そして時代は高度成長期、米の消費量は減る一方なのに、生産量は全く減らない。

まあ当然の話で、農家はどれだけ米を作っても政府が全部高値で買い取ってくれるので売れ残る心配がなく、作れば作るほど儲かる。そんな状況で生産量が減るわけがありません。

さらにさらに、政府は農家支援のため、販売価格よりも高い値段で農家から米を買い取っていました(逆ザヤ)。政府は原価割れの値段で国民に米を売っていたわけです。

そんなわけで、政府は食糧制度の維持に毎年多額の予算をつぎ込まなければならなくなり、耐えきれなくなった政府は、ついに生産調整に乗り出しました。これが減反政策です。

減反政策の開始

1970年、減反政策を始めた政府は、

  • 米の作付面積の制限(転作の奨励)
  • 自主流通米制度の導入
  • 政府買入限度の設定

を行い、

  • 米の生産量の減少
  • 政府支出の削減

を目指しました。

(食糧管理法はまだ廃止されていないので注意!)

転作とは、田んぼだった土地で米以外の作物を作るようにすることです。政府は転作した農家に補助金を出して転作を奨励しました。

自主流通米とは、国を通さずに農家から直接市場を通して消費者に販売される米のことで、価格決定に政府が関与せず、市場原理に任せる仕組みです。

また、政府による農家からの米の買入量に上限を設定することで、国が抱える在庫が増えすぎないようにしました。

1995年には食糧管理法が廃止され、食糧管理制度は完全に終焉を迎えました。

そして、減反政策は廃止へ

40年近くにわたって続いた減反政策でしたが、ついに2018年、第二次安倍内閣が廃止を決定しました。

政府としては、農家の自由競争を促進し、より効率的な農業経営を行ってもらうことが狙いです。

補足

「食料」と「食糧」は別物です。 「食料」は、食べ物のこと。 「食糧」は、同じく食べ物のことですが、特に米や小麦、トウモロコシなど、主要な穀物を指すことが多いです。

細かい違いですが、記述や論述ではしっかり見られるので気をつけましょう。

補足② お米大好きな日本人

皆さん、今日米は何合食べましたか?

だいたいの人は、一日に2~3合くらい食べるはずです。運動部だったらもっと食べるかな。

でも、戦前・戦時中の日本人は毎日6合食べていました。

そんな量食べれないでしょ、戦前の日本人はみんな大食いだったの?

そうではありません。米以外に食べるものがなかったのです。

現代の食卓は一汁三菜、肉、副菜、サラダ、みそしる。米以外にもおかずがたくさんありますよね。

しかし昔はおかずなんてほとんどありませんでした。魚が一匹、汁物、ご飯、それで終わりです。米でお腹を膨らすしかなかったんですね。肉なんて高級品でほとんど食べられません。

現在でも、貧しい発展途上国では似たような食生活がみられます。バングラデシュなんかがその典型です。バングラデシュ人は米とちょっとの魚で生きてますから。

そんなにお米を食べるわけですから、当然糖質の摂りすぎなわけで、戦前の日本人には糖尿病患者がたいへん多かったといいます。

栄養バランスって大事ですね。

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