レーニン
概要
第一次世界大戦からロシア革命の時期にボリシェヴィキを率いて革命を達成し、ソ連を成立させた人物。
1910年代には戦時共産主義と呼ばれる厳しい統制を行ったが、20年代には新経済政策(ネップ)と呼ばれる市場原理を部分的に導入する政策をとった。
流れ→ロシア革命
時代
1870年〜1924年
場所
詳細
二月革命の後のロシアでは、自由主義を唱える臨時政府が権力を握っていた一方で、社会主義者は各地で ソヴィエト(評議会) を結成していました。
労働者の支持を集めていた、ロシア社会民主労働党(の一派、ボリシェビキ)の指導者であったレーニンは1917年に四月テーゼを発表、社会主義政権の樹立を目標に「全ての権力をソヴィエトへ」のスローガンのもとで、ソヴィエトに立脚した国家を作ろうと考えました。
しかし第1回の全ロシア=ソヴィエト会議では、穏健な社会主義の社会革命党(エスエル)や(ロシア社会民主労働党の一派)メンシェヴィキが多数を占めていました。
ケレンスキーを首相に立て社会主義の推進に抵抗する臨時政府に対し、レーニンはトロツキーとともに指導して臨時政府を倒してソヴィエトに立脚するボリシェヴィキ政権を樹立させる十月革命を起こします。
革命後、大戦中であったロシアでしたが、「平和に関する布告」において無併合・無償金・民族自決を掲げ、即時講和を交戦国に呼びかけ、ブレスト=リトフスク条約で戦線から離脱することに成功します。
また「土地に関する布告」で土地の知的所有を廃止しました。
首都をペトログラードからモスクワに移し、メンシェビキを活動停止させてロシア共産党に名前を変え、ボリシェビキ一党独裁体制を形成します。
この時期のロシアはソヴィエト=ロシアと呼ばれます。
厳しい経済統制、チェカ(非常委員会) による運動制限、赤軍などの「戦時共産主義」と呼ばれる体制がとられました。
1919年には世界革命を推進するためのコミンテルン(第3インターナショナル) を成立させます。
大戦の終結した20年代にレーニンは、新経済政策(ネップ) と呼ばれる、市場原理の部分的導入を展開し、経済を回復させます。
22年にソヴィエト社会主義共和国連邦を成立させ、24年に死去して指導者はスターリンへと変わりました。