清の国境
概要
清代のロシアとの国境制定の流れです。
19世紀の条約はロシアの南下政策と関わっています。
流れ→清
まとめ→中国王朝
場所
詳細
ネルチンスク条約
- 1689年
- 康熙帝
- ピョートル大帝
- 内容:アルグン川・外興安嶺を国境とする
キャフタ条約
- 1728年
- 雍正帝
- ピョートル2世
- 内容:ネルチンスク条約以西の国境の取り決め
アイグン条約
- 1858年
- 咸豊帝
- ニコライ1世
- ロシアの担当者:ムラヴィヨフ
- 内容:アムール川以北をロシアとする
北京条約
- 1860年
- 咸豊帝
- アレクサンドル2世
- 内容:ロシアが沿海州を獲得、ウラジヴォストークを建設する
イリ条約
- 1881年
- 光緒帝
- 内容:新疆ウイグル地方の地域、イリをロシアが占拠し、左宗棠を中心にこれを排除したイリ事件の講和条約。イリ地方は清のものとされた一方で、新疆全土との交易権をロシアが得ることとなった。
補足
アロー戦争の講和条約も「1860年の北京条約」ですが、別物です。
注意しておきましょう。
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