南北戦争
概要
奴隷制を巡るアメリカにおける戦い。
奴隷制存続を求める南部はアメリカ連合国を作り宣戦、連邦首相リンカーンの奴隷解放宣言により戦争の目的が定められました。
北部が勝利し奴隷は解放されたものの、黒人差別は残ります。
流れ→アメリカの発展
時代
1861年〜1865年
詳細
背景
アメリカでは異なる産業構造が原因で、以下のような対立が存在していました。
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産業
- 北部:労働力を使用する工業地域。
- 南部:奴隷制綿花プランテーションを中心とした農業地域。
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政治体制
- 北部:連邦政府の権限を拡大し、統一を求める。
- 南部:連邦政府の権限を制限し、州の自治権拡大を求める。
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貿易政策
- 北部:イギリス製工業製品と競争するため保護貿易を主張。
- 南部:主産物の綿花の輸出を増やすため自由貿易を主張。
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黒人奴隷制
- 北部:奴隷制拡大に反対し、労働力・購買力として期待。
- 南部:綿花プランテーションを維持するため奴隷制を求める。
奴隷を巡って、1820年のミズーリ協定で北部に新たな奴隷州(奴隷を容認する州)を作らないことが決まっていました。
しかし民主党が当選した1854年、住民投票で自由州(奴隷を禁止する州)か奴隷州かが選べることを定めるカンザス・ネブラスカ法で実質的にミズーリ協定を無効化します。
北部を中心に支持を集めた共和党はこれに強く反発していました。
経緯
共和党のリンカーンの当選をきっかけに、南部諸州は1861年にジェファソン=デヴィスを首相、リッチモンドを首都とするアメリカ連合国を結成し、一方的に連邦を離脱します。
そして連合国(南部)は連邦(北部)への攻撃を開始し、この戦いは南北戦争と呼ばれます。
北部は開拓中であった西部を味方につけるため、開拓を条件に公有地を無償で農民に分配するホームステッド法を制定します。
南部のリー将軍などの活躍により戦争は長期化する中リンカーンは、1863年に奴隷解放宣言を発し奴隷解放の戦いであることを明確にします。
ゲティスバーグで激戦が展開され、「人民の、人民による、人民のための政治」という演説を機に連邦軍が有利に進めこれに勝利、その後もグラント将軍などの活躍でアトランタが陥落し連合国は降伏しました。
しかしこの直後リンカーンは射殺されてしまい、副大統領であったジョンソンが大統領に就任します。
その後
奴隷制は廃止されますが、奴隷から解放された黒人は分益小作人(シェアクロッパー) となりプランターに隷属することとなり、実際の労働環境は改善されませんでした。
また黒人差別も残ります。
州法ジム=クロウ法で差別は合法化され、白人至上主義を唱えるKKK(クー=クラックス=クラン)が結成されるなどの展開も見られます。
1964年に公民権法が成立するまで続きました。