キリスト教
概要
キリスト教の誕生とその扱われ方についてのお話です。
ローマの政治にも大きな影響を与えています。
まとめ→ローマ
時代
1世紀〜
場所
詳細
1世紀のパレスチナではユダヤ教が信仰されていましたが、祭司やパリサイ派と呼ばれる人々は、ユダヤ支配層としてローマ支配を受け入れ、民衆は苦しみの中にいました。
イエスは彼らを形式主義と批判し、神の絶対愛と隣人愛を説きました。
反逆者として十字架にかけられますが、弟子たちの間に復活したことで人間の罪を贖う行為だったとの信仰が生まれ、そこからキリスト教が成立しました。
その後、ペテロやパウロなどの使徒によって伝道活動が行われ、ユダヤ人以外も救いの対象とするキリスト教は広がっていきました。
「新約聖書」がこの間に記され、「旧約聖書」とともに教典となります。
ユダヤ教の流れを汲んだキリスト教は一神教であったのですが、当時のローマは多神教で、皇帝も神の一人として崇める対象でした。
そのため、皇帝崇拝を拒否したキリスト教徒は反逆者として見なされ、ディオクレティアヌス帝など大迫害を行った皇帝も少なくありませんでした。
しかし、キリスト教の広まりはとどめられず、313年(テトラルキア時代時代)、コンスタンティヌス帝はミラノ勅令で公認します。
そして392年にはテオドシウス帝がアタナシウス派キリスト教を国教とし、それ以外の宗教を禁じるまでに至ります。
教義をめぐる論争もあり、ニケーア、エフェソス、カルケドンでの三つの会議で議論がなされましたが、いずれにおいても三位一体説を主張すアタナシウス派が正統であると結論づけられました。
このように国家権力とも結びついたキリスト教は聖職者という身分を誕生させ、その教会は強大な組織となってゆきます。
補足
初めは迫害も激しかったキリスト教ですが、その時期のキリスト教徒は礼拝する場所を求めていました。
そのために作られたものが地下墓地、カタコンベです。
墓室にはフレスコ画などの神聖な絵が描かれています。