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ドイツ統一


概要

連邦体下で分裂していたドイツが、プロイセンを中心に統一されていきます。

ドイツ連邦下でドイツ関税同盟成立

→ドイツ関税同盟で経済的統一

→プロイセンで鉄血政策、戦争勝利により北ドイツ連邦成立

→ドイツ帝国成立

まとめ→近代ヨーロッパドイツ

時代

1830年代〜1871年

詳細

ドイツ連邦統一の動き

ドイツ連邦では連邦体制が取られていたため、政治的な分裂状態が続いていました。

しかしプロイセンを中心に、オーストリアを除く多くのドイツ諸邦からなるドイツ関税同盟が発足したことで、1834年に経済的統一はほぼ実現しました。

そして1848年の三月革命時には、フランクフルト国民議会が結集されますが、統一時にオーストリアをドイツに含めようとする大ドイツ主義と、含めまいとする小ドイツ主義が対立しました。

小ドイツ主義による統一を試みましたが、王になる予定であったプロイセン王の拒否により失敗に終わります。

プロイセンの改革

ドイツ統一の主導権をユンカー(領主層)が握るようになり、ビスマルクはブロイセン王ヴィルヘルム1世から首相に任じられると、軍備拡張を積極的に行う鉄血政策をとりました。

プロイセンはオーストラリアと一緒に、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン両州をめぐってデンマークと開戦して勝利しました。

しかし、両州をめぐる対立からプロイセン=オーストリア戦争(普墺戦争)がおこり、プロイセンが勝利しました。

そして、プロイセンを盟主とする北ドイツ連邦が結成されました。

ドイツ帝国の成立

ビスマルクはナポレオン3世を挑発し、プロイセン=フランス戦争(普仏戦争)を始め、プロイセンが勝利しました。

1871年にヴィルヘルム1世がついにドイツ皇帝になり、ドイツ帝国が成立しました。ビスマルクは宰相として独裁的な権力をふるいます。

具体的には、「文化闘争」を開始して、カトリック教徒を抑圧し、また社会主義者鎮圧法を制定して社会主義政党を弾圧しました。

一方で、社会保険制度を整備するなどアメとムチをうまく使い分けた政策を行いました。

外交ではビスマルク体制と呼ばれる体制を作り上げ、国際的な存在感を増していきます。

関連単語

普仏戦争 / フランクフルト国民議会

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